正信偈のはなし 第一話

 第八世の蓮如上人(れんょしょうん)(1415~1499)が日常の勤行に制定されて以来、浄土真宗の門信徒にとりまして、最もなじみ深いおつとめが正信偈(しょうしんげ)です。詳しくは、「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といいます。「念仏の教えを正しく信じるための道理を説いた詩(うた)」という意味でしょうか。親鸞聖人(しんらんしょうん)の代表的な著述である「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」六巻の中の行の巻の末尾に書かれている文章です。漢詩(韻文)の体裁で、漢字七文字を一句として百二十句あり、二句一行で六十行からなっています。
 浄土真宗の教えの肝要なあらましが述べられていると言えるでしょう。
 先ず、親鸞聖人は、この正信偈をお作りになった気持ちを
『しかれば大聖)の真言(しんごん)に帰し、大祖(だいそ)の解釈(げしゃく)に閲(えっ)して、仏恩)の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りていはく』と述べられています。
 「大聖の真言に帰し」とあるのは、釈尊の真実の言葉に帰依するということです。それを親鸞聖人は、阿弥陀如来がすべての人を救いたいと願われた「本願念仏」をお説きになる『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』に見い出されました。次の「大祖の解釈に謁して」というのは、三国(インド・中国・日本)の歴史を通じて、『大無量寿経』の正しい解釈を伝えてくださった七人の高僧方の御教示に従ってということです。
 そして、私を間違いなく救い導いてくださる阿弥陀仏の恩徳が、まことに深いことを自ら信じるとともに、他の人に念仏をすすめ、信じていただくためにこの詩を作ったと述べられるわけです。
 続いて、正信偈本文が書かれていきます。
 次にこの本文についてみると、
最初の一行二句である「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光((なもふかしぎこう)」は、南無阿弥陀仏の意味を明らかにして、親鸞聖人自身が阿弥陀如来に帰命することを示しています。しかも、それは正信偈全体を集約して表しています。ですから、この一行二句が正信偈の中心であり、以下の文章は、その展開・解説と位置付けられます。
 また、その展開・解説である二行目以下の文章は、二つに分けられています。
一つは、「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)」から「難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)」までの二十一行四十二句です。依経段(えきょうだん)といわれ、『大無量寿経』に依って、その教えの要が讃歎されています。先ほどの「大聖の真言に帰して」の部分に当たります。いま一つは、「印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)」から最後の「唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)」までです。依釈段(えしゃくだん)といわれますが、「大祖の解釈に謁して」の部分に当たり、七人の高僧(七高僧)の一人ひとりの教え(解釈)とそのお徳が述べられています。
 そうして、阿弥陀如来の本願念仏の教えは、親鸞が勝手に作った教えではなくて、釈尊のお説きになった真実が、面々と七人の高僧方に受け伝えられて私のところまで届けてくださったのである。どうか悩める多くの人たちよ、この高僧の教えと促(うなが)しに従って、念仏申す人生をおくってくださいと結ばれるのであります。

 帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらいにょらい)
 (無量寿如来に帰命し)
 南無不可思議光(なもふかしぎこう)
 (不可思議光に南無したてまつる)

 帰敬序(ききょうじょ)といわれるところです。阿弥陀如来を敬い、帰依していくという親鸞聖人のお心が述べられています。
 「帰命(きみょう)」というと言葉と「南無(なも)」とは、同じ意味です。ご承知のように、仏教はインドに起こりましたので、お経はサンスクリット語(梵語)で書かれています。それが中国に伝えられて、漢字に翻訳されるのですが、その時に原語の「namasuナマス、namoナモ」という言葉を、意味を取って「帰命」と訳したり、ある時は、「音写(おんしゃ)」というのですが、発音を漢字に写して、「南無」とあらわしました。ともに「敬い信じ順(したが)う、拠り処とする」という意味でしょう。親鸞聖人は、阿弥陀如来の帰って来いという命令に、順(したが)っていくことだと解釈されているように思います。

 さて、昭和三十一年のことです。日本は戦後復興も進み、世界の仲間入りを果たさねばという意識もあったのでしょうか。南極観測に乗り出すことになりました。第一次南極観測隊は、その年の十一月に観測船「宗谷(そうや)」を仕立てて日本を出発し、翌年一月下旬に南極オングル島に上陸して昭和基地を建設します。そして、第一次越冬隊員十一名を残し、日本に引き揚げてきました。その際、氷の海に閉じ込めらた「宗谷」は、外国船に助けられて、ようやく日本に帰ってきます。翌昭和三十二年暮れ、第二次越冬隊員を乗せて、再度日本を出発します。ところが今度は、厳しい悪天候の中、氷に阻(はば)まれ接岸することもできません。やむなくその年の越冬は断念することになりました。かといって、第一次越冬隊をそのままにしておくことはできません。天候の合間を縫い小型飛行機を使って、かろうじて隊員は収容できましたが、十五頭のソリ犬は涙をのんで基地に置き去りにすることになりました。日本では、そのことが新聞紙上などで批判されましたが、どうすることもできなかったのでしょう。翌昭和三十三年の第三次南極観測隊が、生存していた「タロとシロ」の二頭のソリ犬を発見します。その感動的な経緯は、何回か映画にもなっていることです。
 その第一次越冬隊員の話です。
当時は、今日のようにインターネットや衛星電話もない時代です。電報だけがたった一つの通信手段だったようです。いわゆるモールス信号で、送られてくるのはカタカナと数字のみです。殆どは公的な仕事上の電報で、私的には、家族からの年賀電報ぐらいなものです。厳寒の地で過酷な任務を強いられる隊員たちにとっては、それが大きな楽しみでした。
 昭和三十三年の新年、日本を出発して四百日余り、食料も底を尽きかけ、国内では安否が心配される隊員のもとに、待望の家族からの電報が届きました。
 家族の近況を知らせるもの、隊員の健康や無事の帰国を願うものなど、電報を次々に披露しあいながら、冷やかしたり笑ったりと楽しい時間が過ぎていきました。やがて、当時三十六歳の大塚正夫隊員の電報を披露する番になりました。奥さんのツネ子さんからのものです。しかし、しんみりと涙ぐんでみんなに披露することができません。どうしたのか。家族に不幸でもあったのだろうか。心配した周りの隊員たちも、覗き込みますが、同じようにしみじみとした気持ちになってしまいました。
 その電報には、たった三文字「アナタ」と書いてあるだけでした。
 日本の奥さんにとっては、伝えたいことは山ほどあったに違いありません。けれども字数に制限があるなか、三文字の「アナタ」という言葉にすべてをこめて、届けられたわけです。
 それを届けられた大塚さんは、その三文字に込められた、奥さんや家族の願いを感じ取り、感動されたんだと思います。家族の願いに支えられている自分を実感し、がんばろうという力と勇気が湧いてきたのではないでしょうか。
  阿弥陀如来は、真実の命の世界から、その願いの全体を南無阿弥陀仏という六文字に込めて、迷える私に届けて下さっています。その願いに気づかされるところに私の帰命という生活がはじまります。

 
   
正信偈のはなし 第二話

帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらいにょらい)
 (無量寿如来に帰命し)
南無不可思議光(なもふかしぎこう)
 (不可思議光に南無したてまつる)

 阿弥陀(あみだ)と音写(おんしゃ)されたサンスクリットの原語には、無量寿(いのちが無限である)と無量光(ひかりが無限である)という二つの意味があります。
 今親鸞聖人は、阿弥陀仏のお徳を無量寿という側面から見た尊称「無量寿如来」と、無量光という側面から見た尊称「不可思議光(如来)」を用いて讃歎されています。ともに阿弥陀仏のことをあらわしています。別なことではありません。私でしたら、家族から見たら「お父さん」、門信徒から見たら「住職」、仏法に帰依した者の立場から見れば「釋教潤」とそれぞれの見方によって呼び方は違いますが、中身は一緒です。そのようなことではないかと思います。
 それでは、何故はじめに二つの名前を挙げて讃歎されたのでしょうか。
 そこには、南無阿弥陀仏の心を明らかにしたいという、意図が伺えます。
 先ず、「無量寿如来」とは、「無量寿」はいのちに限りがないということですが、何のために無量寿の身になられたのかといえば、過去・現在・未来にわたって永遠に悩める人々を救うためです。そこで、そのお心は、慈悲の精神から来ているので、無量寿とは、阿弥陀仏の慈悲をあらわすようになりました。「如来」は、仏のさとりの世界を「真如」とか「一如」といいますが、その真実から来た方という意味になります。
 仏教では、自ら修行してさとりを開くという方向の時には「仏(ぶつ)」と言い、その悟りの世界から迷える人々をすくうためにはたらく方向の時には「如来(にょらい)」と表現するようです。
 次に、「不可思議光」とは、「不可思議」は、神秘的ということではなくて、人間の思議(思い計らい)をはるかに超えたという意味です。「光」は、光が暗闇を照らし出すように阿弥陀仏の光は、ものごとの真実を照らし出すということで、智慧(真実を明らかにするちから)をあらわしています。
 南無阿弥陀仏には、このような阿弥陀仏の限りない智慧(光)と慈悲(寿)のはたらきが込められていました。
 そして、この限りない真実の智慧でいのちの全体を見通すと、生きとし生けるものは、みな独立して存在するのではなくて、互いに関わり合い支え合いながら存在していることに気づかされます。縁起的存在ということです。
 私の分かりそうな範囲で考えてみると、私は決して自分一人で生きているのではありません。家族や友人や地域の人とか、門信徒の皆さんなど多くの方々との関りの中で生き、支えられています。動植物や大自然のめぐみなどもそうでしょう。どれが欠けても今の私というあり方の命は成り立ちません。ある意味では私の命の一部を占めているとも言えるでしょう。例えば、自分の子供は、別々の命を生きているように思いますが、子供に事故などが起こると心配で食事もままならない。やはり、自分の命の多くの部分を占めていたことに気づかされます。
 このように、真実の智慧の光で、いのちを見通すと、生きとし生けるものはみんな関わり合い、繋がっている。大きな一つのいのちを生きていたということに気づきかされます。
 親鸞聖人はそこのところを「一切の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母・兄弟なり」(歎異抄第五章)、あらゆるいのちは生まれ変わり死に変わりして、自分と繋がっていた。父母兄弟のようないのちを生きていたとあらわされています。
 そして、そのように気づくと、自分に関わっているいのちを、自分のことのように尊重し大切にしていこう、相手の悩みを何とかしてあげたいという心が湧いてきます。
 私なども、知らない人に会うと「私とは関係ない」と思いがちですが、「吉久に親戚がいる」などと言われると急に親しみや何か一つに通じるものを感じることがあります。それはあったのだけれども今までは見えなかった、その人との関係性が見えてきたからです。
 阿弥陀仏は、あらゆる命とのつながりを見通す中から、慈悲の心を起こされました。慈悲というと、何か上の立場の者が下の者に恵を与えるようなイメージでとらえられがちですが、本来は「同体(どうたい)」とか「一体(いったい)」という意味です。我がことのように一つに見ていくということです。別な言葉でいえば、無条件の愛情という表現も出来るでしょう。
 父母兄弟の如く一人ひとりの命を大切に思い、尊重していく精神です。
 観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)には「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり」と説かれています。その慈悲心から、お念仏一つで、すべての命の輝きが尊重され、互いに認めあえるような社会(浄土)に生まれさせて、救い取りたいという願い(本願)が出来てきたことを大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)は伝えています。
 このような阿弥陀仏の心が念仏に込めて、届けられているわけです。
 ですから、念仏申していくということは、阿弥陀仏の心の中にこそ真実があり、人間の依るべき生死を貫いていくような究極的精神があるという、仏からのメッセージをいただいていく営みであるとも言えます。

  
自由と平等と友愛

 鳩山首相の政治的精神は、「友愛」であるということをよくテレビなどで耳に致します。
 ご存知のように、フランス革命のスローガンは「自由と平等と友愛」でした。一人ひとりの自由と平等、いのちの尊厳を大切にし、尊重し合う社会を築いていこう。
 長い歴史を通じて人々が求めて止まなかった「人権」という精神は、その後世界に広まり、今日では世界で共通の、また、人類の普遍的な理念として位置付けられています。
 この自由と平等は、相対立する概念ですが、それを可能にするのが友愛という精神でした。友愛とは、以前は博愛とも表現されましたが、兄弟愛、人類愛のことで、あらゆる人々を父母兄弟のように見ていく愛情の心です。
 ある人が、「念仏申して生きていくということは、自由と平等と友愛に生きるということだ」と言われた方がいました。なるほど、そういう言い方もできるなあと感心したことです。全くお念仏の精神と矛盾するものではありません。
 お浄土こそ、完全に自由と平等と友愛が実現された社会(国)であり、念仏申すとは、そういう浄土を願って生きていくという決意でもあります。    

 
  正信偈のはなし 第三話

 法蔵菩薩因位時(ほうぞうぽさつしんにじ) 
 (法蔵)菩薩の因位の時) 
 在世自在王仏所(ざいせじざいおうぶっしょ)
 (世自在王仏の所(みもと)にましまして)
 覩見諸仏浄土因(とけんしょぶつじょうどいん)
 (諸仏の浄土の因)
 国土人天之善悪(こくどにんでんしぜんまく)
 (国土人天の善悪を覩見(とけん)して)
 建立無上殊勝願(こんりゅうむじょうしゅうしょうがん)
 (無上殊勝の願を建立し)
 超発希有大弘誓(ちょうほつけうだいぐぜい)
 (希有の大弘誓を超発せり)
 五劫思惟之摂受(ごこうしゆうししゅうじゅ)
 (五劫これを思惟して摂受(しょうじゅ)す)
 重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)
 (重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと)

 これよりしばらくは、『大無量寿経』によって、その教えの要(かなめ)が讃歎されていきます。
 先ず、法蔵菩薩の物語からはじめられます。
 計り知れない遠い昔、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏様がおられた。その時、一人の国王がいて、その説法を聞いて深く喜び、自らも仏となって世の人々を救いたいと出家して修行者となり、法蔵と名乗りました。法蔵菩薩の誕生です。
 菩薩(ぼさつ)とは、あらゆる人々を救いたいとさとりを求める修行者のことです。修行中の状態を「因位(いんに)」といい、修行を完成させた状態を「果位(かい)」と表現します。ですから、修行中の因位の名前が法蔵菩薩であり、それを完成された果位の名前が阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)ということになります。
 法蔵菩薩は、世自在王仏のもとで、二百一十億という諸仏の浄土の成り立ちや浄土に住む人々のありさま(善悪)をつぶさに拝見させていただき、学ばれた。そして、そのなかから取捨選択して、諸仏もなしえなかった、仏教に耳を傾けない人も非難する人も、極重の悪人もあらゆる人々をお念仏一つで救うという、この上もない優れた願いを起こされました。その誓願を成就するために、五劫(ごこう)という途方もない長い間思惟を重ねられたと云います。
 その願いは、法蔵菩薩の「四十八願」(四十八項目の願い)と言われるものです。なかでも第十八番目の願いは、根本の願いにあたることから「本願(ほんがん)」といいます。
 第十八願では「私が仏となるときに、すべての人々が我が国に生まれたいと願って念仏して、生れることができなければ、私は仏にはならない」と誓われています。すべての人をお浄土(じょうど)に迎え入れて、必ず仏になるようにして救いたい。そのために、わが名(南無阿弥陀仏)が、あらゆる人々に届き、悩み苦しみから救われていく道のあることを知らせたいと、重ねて願われています。
 そうして、その願いが完成して阿弥陀仏となり、浄土を建立された。
 さらにそれは何時のことかと云うと、『大無量寿経』には、「法蔵菩薩が、無量寿仏(阿弥陀仏)という仏となって、西方浄土を建立されてどれくらいたっているのでしょうか」という阿難尊者の質問に対して、「もうすでに仏になられて十劫(じっこう)の時が過ぎている」と釈尊は答えられています。
 この話の中で、五劫とか十劫という言葉が出てきますが、「劫(こう)」は古代インドの時間を表す単位です。経典には、四十里四方の石を、百年に一度ずつ薄い衣で払ってその石がなくなっても劫は尽きないという「盤石劫(ばんじゃくこう)」や、四十里四方の鉄城に芥子粒(けしつぶ)を満たし、百年ごとに一粒ずつ取り出し、すべての芥子がなくなってもまだ劫は尽きないという「芥子劫(けしこう)」の話がでています。いづれも人間では考えも及ばない、とてつもなく長い時間ということです。

 親鸞聖人は、この『無量寿経』に説かれる本願念仏の中に、罪悪深重の私が救われていく道をみいだされていかれました。そして、法蔵菩薩の願いのなかに、人間のめざすべき究極的な精神をくみとられ、それを拠り処に生き抜かれたのでありました。
 第八代目の本願寺門主である蓮如上人は、「弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主(ぬし)に成るなり」と述べておられます。弥陀に救われるということは、ただありがとうございますといって何もしないことではありません。弥陀の願いこそ、私の究極的な願いであったと気づかされて、その精神に生きよう(主に成る)とすることであります。 


  
正信偈のはなし 第四話

 建立無上殊勝願(こんりゅうむじょうしゅうしょうがん)
  (無上殊勝の願を建立し)
 超発希有大弘誓(ちょうほつけうだいぐぜい)
  (希有の大弘誓を超発せり)
 五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ)
  (五劫これを思惟して摂受す)
 重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)
  (重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと)

 大無量寿経には、法蔵菩薩が、あらゆる生あるものを救いたいと諸仏に超え優れた願いを発され、人智では及びもつかない永い間思惟を重ね、それが完成して阿弥陀仏となり自らの浄土(国土)を建立された。
 何処が諸仏に超え優れているかというと、善行を積み、出家して修行することができないものも、仏法に背を向けるものも、非難するものも、すべてのものを救うという点にあります。
 そして、その願いと成就のすべを念仏に込めてあらゆる世界に届けられた。
 我が呼び声(南無阿弥陀仏)を聴き、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願って念仏するものは、必ず浄土に生まれて、さとりをひらくことができるのである。と説かれています。

 さて、この物語をどのように受け止めることができるでしょうか。
 親鸞聖人は、この法蔵菩薩の物語が説かれている大無量寿経のなかに、仏教の究極の真実を見出され、浄土真宗の根本聖典とされました。
 その論拠として、聖人の主著である「教行信証」(本典)の教巻には、ただ一つのことが挙げられています。
 それは、この経典が説かれる経緯です。
 ある日何時も釈尊に従って使えていた弟子の阿難が、釈尊のただならぬ様子に気づきます。経典には「光顔巍巍(こうげんぎぎ)」(顔がおごそかに輝いている様子)と書かれています。
 私たちの日常でも、相手の顔色を見て、悩みがあり心が落ち込んでいるのか、うれしい事があったのか、自ずと分かることがあります。
 普段見たこともない様子に阿難は、
「世尊、今日は喜びに満ちあふれ、お姿も清らかで、そして輝かしいお顔がひときわ気高く見受けられます。わたしは今日までこのような神々(こうごう)しいお姿を見たてまつったことはありません。どうして、そのように神々しく輝いておいでになるのでしょうか」と聞きます。
 それに対して、釈尊は、
「阿難よ、よく気が付いてくれた。私は今、この上ない如来の心に達し、心が喜びに満ちあふれている。これからそのことを詳しく説くから、よく聞くがよい」と言って、法蔵菩薩の物語(大無量寿経)を説きはじめられた。
 このこと一つが、大無量寿経が真実の教であることの証(あかし)として、教巻には書かれています。
 考えてみると、私たちは、夢や希望がなくては生きていけません。いろいろあるでしょう。それに向かって、努力をすることは生きる力であり、苦難を克服していく忍耐にも繋がっています。そしてその願いがかなえられたところに喜びや幸福を感じることができる。 
 しかし、途中で挫折したり、遂げられないことへの絶望や、叶えられても空しさを感じるのもまた私たちです。
 私が、住職を養成する学校にいた時、五十半ば過ぎの男性がいました。若い人が多いなか、その方だけ年をとっていたので印象に残っています。在家出身の東京の方です。
 戦後間もなく地方から東京へ出てきて、事業を起した。東京で事業を成功させて、自分の家を建てるというのがその方の夢だったそうです。遊びたいのを我慢し、酒もたばこも我慢して、一生懸命働いた。長年の努力の甲斐があって、ようやく事業は成功し都心に自分の家を建てることができた。うれしくて仕方がなかった。毎日座敷に寝そべって、喜びをかみしめていました。ところが、何日かして座敷で大の字になって天井を見上げていると涙が出て止まらなくなったそうです。自分の人生は何であったのか。確かに都心に家を建てることは大変なことである。しかし、自分の人生はこの家を建てるためだけのものであったのか。このまま年老いて死んでいくのか。そう思ったら悲しいやら空しいやら、涙が止まらなかった。
 そんな時に、親鸞聖人の教えに出会ったそうです。この教えしかない。それで弟さんに会社を譲ってお坊さんになったということを聞きました。
 ここまで一途な人は稀でしょうが。それでも、私たちは、老病死の事実から逃れることはできません。その事実に出会ったとき、私たちの夢や希望は、大抵の場合空しいものになってしまう
のではしないでしょうか。
 釈尊は、老病死を苦としか受け取れない身の事実から、悟りを開かれた。そして、釈尊は老病死の身でありながら、いのちが輝く世界を見出してくださったわけです。そのことを私たちに分かりやすく法蔵菩薩の物語としてお説きくださいました。
 法蔵菩薩が建立された阿弥陀仏の浄土は、自分の心から自己中心的な心を取り除き、一人ひとりのいのちが平等輝き尊重される社会であると説かれています。
 念仏申すということは、法蔵の願いを私の願いとして生きていくということです。
 自分の夢や希望が、他の人のためや社会のためになるという、何か法蔵の願いに通ずるものがなければ、真にいのちを輝かせることはできないのではないでしょうか。法蔵の願いに出会ったときに、私の真の願いはそうであったのかと私のいのちが感動するのでしょう。
 親鸞聖人は、人をして真に輝かせるものこそ真実であるということを、釈尊の「光顔巍巍」に見て取られたのではないかと思います。
私にとって一番大切なのは、死をも乗り越えていける私の願うべき願いを明らかにし、生きる意味と輝きを見出すことではないでしょうか。


  
正信偈のはなし 第五話

 普放無量無辺光(ふほうむりょうむへんこう)
 無礙無対光炎王(むげむたいこうえんのう)
 清浄歓喜智慧光(しょうじょうかんぎちえこう) 
 不断難思無称光(ふだんなんじむしょうこう)
 超日月光照塵刹(ちょうにちがっこうしょうじんせつ) 
 一切群生蒙光照(いっさいぐんじょうむこうしょう)

 [訓読]
 あまねく無量(むりょう)・無辺光(むへんこう)、無碍(むげ)・無対(むたい)・光炎王(こうえんのう)、清浄(しょうじょう)・歓喜(かんぎ)・智慧光(ちえこう)、不断(ふだん)・難思(なんじ)・無称光(むしょうこう)、超日月光(ちょうにちがっこう)を放ちて塵刹(じんせつ)を照らす。一切の群生(ぐんじょう)、光照(こうしょう)を蒙(かぶ)る。

 阿弥陀如来の智慧の光明は、あまねくいっさいの国土(塵刹(じんせつ))を照らし、あらゆる人々(群生)にすくいのはたらきとして届けられている。ここではその光明のお徳を大無量寿経によって、十二種に分けて讃歎されています。
 意味を申しますと、①無量光(むりょうこう)。量ることのできない光。②無辺光(むへんこう)。際限のない光。③無碍光(むげこう)。なにものにもさえぎられることのない光。④無対光(むたいこう)。くらべるもののない光。⑤炎王光(えんのうこう)。最高の輝きをもつ光。⑥清浄光(しょうじょうこう)。衆生のむさぼりを除くきよらかな光。⑦歓喜光(かんぎこう)。衆生のいかりを除きよろこびを与える光。⑧智慧光(ちえこう)。衆生のまどいを除き智慧を与える光。⑨不断光(ふだんこう)。常に照らす光。⑩難思光(なんじこう)。おもいはかることができない光。⑪無称光(むしょうこう)。説きつくすことができず、言葉もおよばない光。⑫超日月光(ちょうにちがっこう)。日月に超えすぐれた光。(浄土真宗聖典註釈版より引用)ということになります。
 そしてその一一(いちいち)は、大無量寿経には、「無量光仏・無辺光仏・無碍光仏~」など仏であると示され、阿弥陀如来(無量寿仏)の別の呼び名であると説かれています。総じて十二光仏と表現される場合もあります。よって、十二光は阿弥陀如来と別のことではなくて体は一つである。阿弥陀如来のお徳を光として、十二の方面から見られ讃歎されているということになります。
 このように阿弥陀如来のすくいのはたらきを光として表現してあるわけです。
 光の作用は、暗闇を照らしだし、周りを明るくすることによって今の状況を把握し、めざす方向を示してくれる。そして明るさという安心をもたらすということにあると思います。まさしく、阿弥陀如来のはたらきは、私と社会の迷い暗闇を照らしだし、真実を明らかにしてくだされる。   また、私と社会の向かうべき、願うべき方向を示してくださり、こころに勇気とあたたかさを、そして明るさをもたらしてくださるから「如来=光」と説かれてあるのでしょう。
 ですから、仏法を聞くということは、経典には「光明を聞く」という表現もありますが、光に照らし出されることです。私や社会の闇に気づき、目覚めるということがその基本にあると思います。

 昭和五十年五月、私が西本願寺の勤式(ごんしき)指導所(声明(しょうみょう)や作法、雅楽を専門に教える所)に通っていた時です。イギリスのエリザベス女王夫妻が来日をされました。その折に日本の代表的な宗教施設を訪問したいという要望があり、西本願寺にもお見えになりました。
 訪問当日は声明の練習も休みとなり、皆で女王ご夫妻をお迎えすることになりました。
私は降車される御影堂(ごえいどう)の向拝(ごはい)(正面の入り口)でお待ちしていたので、まじかに拝見することができました。車から降りられる際に私が正面にいましたので、ニコッと微笑まれ軽く会釈をされました。法衣を着ていたので西本願寺の職員と勘違いされたのかもしれません。気品に溢れた中年の御婦人という印象でした。当時の光照門主がお出迎えになり、国宝の鴻の間や能舞台などを拝観されていかれたようです。沢山の方が出迎えておられて、テレビなどの報道陣も多く見受けられました。その当時のテレビカメラは非常に大きくて、床に置かなければならないタイプです。カメラマンの方も背広ネクタイの正装で撮影されていたのを印象深く覚えています。
 その後、伊勢神宮を訪問されたそうです。翌日の新聞の第一面に「英女王ご夫妻伊勢をご訪問」の見出しで報道されていました。
 本願寺新報(西本願寺の新聞)には、伊勢神宮訪問の様子を
「神宮の秘書部長に案内されたご夫妻が、内玉垣南門の敷居際まで進まれたとき、ここからは、天皇・皇后陛下だけしか入れませんので、と丁重に断わられました。ご夫妻は不審に思いながら、ここでは何をお祈りなさるのですかと尋ねられますと、部長は、皇室の繁栄と国家の安全と五穀豊饒ですと説明されると、ご夫妻はさりげなくあたりを見まわしながら正殿に礼拝することもなく引き返されたといいます。」と報じていました。
 エリザベス女王にとってみれば、英国王室の繁栄や英国の安泰をお祈りする信仰の対象ではありませんから、日本人が信仰する場所への敬意はあるでしょうが、礼拝の対象ではないということなのでしょうか。
 実は、同じようなことを西本願寺でも聞かれたという話を後日耳にしました。阿弥陀堂の御本尊の前だと思いますが、「ここでは何をお祈りなさるのですか」と。
 その時、直接ご案内をされていた光照門主は、「人間が祈願するのでなく、阿弥陀様が先手をかけて、十方の生きとし生けるもの(十方衆生)を必ず救うと誓われているのです。」とお話しされました。つまり、人間の願いをお祈りするのではなくて、如来の十方衆生(国や民族を超えたあらゆる人々、生あるものすべて)をすくうという誓願を聞かせていただくということなのでしょう。十方衆生の中には、エリザベス女王も入っています。そういうことも感じ取られたのでしょうか。女王ご夫妻は深々と礼をして帰って行かれたそうであります。

 この話は、仏教を信仰するということの基本的な姿勢をよく表わしているように思います。
 一般的に何かを信仰し、信心するということは、私たち(私と社会)の願いごとを祈願(きがん)請求(しょうぐ)することだと思われています。どれが効果のある納得できる対象なのかを判断するのは私たちです。信心する主体は私たちです。そこでは、自己中心性(エゴ)に満ちた祈願請求の内容が問われることは余りありません。
 ところが、仏教を信仰し、仏の教えを聞くということは、私たちが光に遇い、自らの迷い・闇に目覚めることです。信心の主体は如来(仏)の側にあります。それは、如来のはたらき、具体的には経典の言葉や如来の願いが込められた念仏をとおして、自らのエゴに閉ざされた迷いに気づかされていくことです。すべての人々がすくわれるようにという如来の願いの中に、私の願うべき方向と真にいのちが満足し感動する世界をみいだすことであります。
 浄土真宗で信心という時には、如来のはたらきに心から従う(信順)、或いは頷く、気付く、目覚めるという意味で使っています。ですから、一般的な使い方と全く逆転していますが、仏教を聞くということの本来的な姿勢に根差しています。


  
正信偈のはなし 第六話

 本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)
  (本願の名号は正定の業なり) 
 至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん)
  (至心信楽の願(第十八願)を因とす)

   
いのちに目覚める
 
 自分のいのちは自分のものである。私たちは何となくそう思っていますが、本当にそうなのでしょうか。
 実際は、生まれようと思ったのでもないのに、生まれてきた。折角生まれてきたのだから何時までも若くて健康でありたいと思っていても、自分の意志とは関係なくやがて年をとり病気になって、死にたくもないのに死んでいかなくてはならない。全く自分の自由にならないいのちです。
また、自分の力で生まれてきたわけでもありません。誰もが掛替えのない両親を縁としていただいた「与えられたいのち」です。しかも、自分一人では支えることのできない、無数のはたらきによって支えられていたいのちでした。
 こういうのを自分のいのちと言うのでしょうか。

 子供さんを亡くされた親御さんで、何年たっても「ごんげはん、何か心の中にぽっかり穴が空いたようで、辛いです」と話される方を何人か知っています。その親御さんにとっては、お子さんが大切な支えであり、自分の中で大きな位置を占めていたのでしょう。それを無くして改めて私のいのちの中身に気づかされたわけです。私という存在の中身は誰が占め支えてくれているのか。妻であり、子であり、友人であり、数えようもない多くの人たちが私を支えていてくれていた。それを無くして、そうだったなあと気づくのでしょう。
 人だけではなくて、動植物も私を支えてくれていました。

 東京に鳥山敏子という先生がいます。昭和五十年代、小学校高学年を対象に「ニワトリを殺して食べる授業」や解体したブタを教室に並べて「ブタ一頭丸ごと食べる」など、屠畜体験学習のさきがけとなられた方です。
 ある秋の日に、近所の農家や保護者の協力を得て、多摩川の河川敷にニワトリを二十羽余り放つ。小学四年生総勢九十名以上。
 子供たちにニワトリを捕まえさせて、首をひねり切断して、逆さに吊るして血を出す。充分血を出し切ったところで、煮だったお湯に入れる。そして毛をむしって解体料理をするんです。そのことを子供たちに手伝わせます。
 なかには泣きじゃくりながら、「なんで可哀そうな残酷なことをするんだ」とニワトリを抱えて逃げ回る子供もいます。先生は、その子供からニワトリを取り上げ「あなたもしっかり見なさい」と言ってそれを見せます。
 こんな可哀想なことをして、「ニワトリの肉は食べません」と言っていた子供達もやがて、空腹のために食べていくようになりました。
 子供たちはどのように感じたのでしょうか。後で作文を書かせています。
 幾つか印象に残ったのを紹介しますと、
  「人間というのが、あくまのようにかんじました」
  「すごく悲しかった。なきながら人間はなぜこんな残こくなことをするのか。なぜ人をころすとけいむしょ行きで、なぜニワトリだとけいむしょ行きにならないんだ」
  「人間って、そんなにおそろしいものかと思ったけど、自分もそんな人間の一人です」
 ここには、人間としての「悲しさ」や「罪悪性」を感じていく心が芽生えています。その心を通して、違う世界が開かれていきます。
  「食べられる方はかわいそうです。だからといって、食べなかったら、ぎゃくに人間が死んでしまいます。だから、食べ物を食べるということは、命をもらうことだから、食べ物を残してはいけないと思います」
  「ぼくたちの腹の中は、動物や植物の命がいっぱいはいっている」
  「これから、体を大切にしたいです」
 私の中には、ニワトリやブタやダイコンやニンジンやたくさんの命が入っているから、(私だけの命ではないのだから)私の体を大切にしていこうというのです。

 私を支えているのは、人や動植物だけではありません。太陽の光と熱、水や空気、大地の支え、無数の大自然の恩恵に支えられています。
 つまり、私とは何かと言えば、私以外の無数のはたらきや命が集まって、私というものを仮に形作っている。確かに私のいのちであり、私の所有物のように思っている私がいることは間違いがありません(そのことが私の迷いの根源であると釈尊は教えてくださっています)。しかし、私の中身は何かと言えば、無数のはたらきや命である。そしてそれは、どこかでつながり関係し合っている、言わば宇宙が一つのようないのち世界です。「公のいのち」と表現してくださった先生がいますが、まさしく、私は「私的ないのち」を生きているように思っていますが、本当は「公のいのち」生きているということが真実なのでしょう。
 釈尊は、自ら悟ったいのちの真実の世界を、すべての衆生(生きとし生けるもの)を必ず救うという阿(あ)弥陀(みだ)如来(にょらい)の本願(ほんがん)として説いてくださいました。
 私が、「私的ないのち」を生き自己中心的な救済を願うのに対して、そんなところにあなたのいのちを満足させる世界はない。だって、あなたは「公のいのち」を生きているのだからと、その心は「すべてのものの救済を願うことだ」と私に届けられているように思います。
親鸞聖人は「この一如(宇宙が一つであるような公のいのち)よりかたちをあらはして」法蔵菩薩と名乗って、私たちを救うために大誓願(阿弥陀仏の本願)を起こしてくださったのだといただかれています。
 阿弥陀仏になられる前の修業時代の法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が、四十八の願いを起こしそれが完成して阿弥陀仏となったことが、大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)に説かれています。四十八願の根本は十八願(第十八番目の願)で、意訳でいうと
 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から(至心)信じて(信楽)、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます」となります。「至心信楽の願」ともいわれています。 
 要するに念仏(名号)一つですべてのものを浄土に迎えとって救うということです。
 阿弥陀仏がつくられた因だから、正定(間違いなく救われることに定まった)の業(行い)といわれるのです。
 原口針水和上は、
   われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏 
   つれてゆくぞの 親のよびごえ
とうたわれています。
 名号(南無阿弥陀仏)を称える中に、「公のいのち」の精神に帰ってきなさいという阿弥陀の呼びかけを聞いて行かれたのでしょう。


  
 正信偈のはなし 第七話

 成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)
  (等覚を成り大涅槃を証することは)
 必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)
  (必至滅度の願{第十一願}成就なり)
 如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
  ({釈迦如来、世に興出したまふゆゑは)
 唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)
  (ただ弥陀の本願海を説かんとなり)

 この世で仏になるべき身と定まり、お浄土で悟りをひらくことができるのは、すべてのものを必ず仏に成らせようとする本願が完成したからである(そのようにお釈迦さまが教えてくださった)。まさしく、お釈迦さまが、この世に生まれたのは、阿弥陀如来の本願を説くためでありました。

 お釈迦さま(釈尊)は、苦悩の根源である迷いとその解決方法を明らかにして、仏陀(ぶつだ)と成りました。三十五歳の時です。そして、八十歳で涅槃(法(ほう)=ダルマ)の世界へ帰って行かれるまで、インド各地を遊行(ゆぎょう)し教えを説き続けて行かれました。
 その釈尊が涅槃に帰ってしまった。残された弟子や信者の嘆きは大変なものであったろうと想像します。今までは、先生である釈尊に相談すれば、その人の能力気質に応じて、巧みな解決方法を教えてくださいました。これからはそれが出来ない。釈尊が残した教えを拠り処として、先生なしで修行しなければなりません。
 ところが、先生がいないとそう簡単に出来ないわけです。このまま修行しても悟りに到らないまま命が尽きるのではないだろうか。私には不可能かもしれない。何時になったら悟りに到ることができるのか、不安がつきまといます。
 そういう葛藤のなか、釈尊の教えを整理していく過程の中で、一つは、釈尊はこの世で修行し悟りをひらいたのだけれども、過去に幾度となく生まれ変わり死に変わり修行(しゅぎょう)を重ねてきたからこそ、その結果としてこの度の生(せい)で完成することが出来たのだと考えられるようになりました。ある時は、うさぎとして生まれて自らの肉体を火に投じて布施(ふせ)供養(くよう)を行って亡くなったなど、前生譚(ぜんしょうたん)としてジャータカ物語に語り伝えられています。
 もう一つは、釈尊は法を体得して仏と成った。法とは、時間空間を貫いた真理、「仏、世に出)づるも出でざるもかわらざる天地自然の真実である」と云われる。釈尊が作り出したものではありませんから、誰でも法を悟れば仏になる可能性がある。しかし、法は「いろもなし、かたちもなし」といわれるように、法のままでは私たちには分かりません。一方、法は真実なるが故に迷える者を救おうと常にはたらき続けているはずである。ですから、法の側からいうと人間釈尊をこの娑婆に送り出して、法に背いていることが、私たちの迷いであり苦の根源であると教えてくれたのである。釈尊よりも釈尊をこの世に送り出した普遍的法の方が根源的であるという考えが生まれてきました。
 そう言えば、過去には釈尊を含めて七人の仏達が、この娑婆世界に生まれて来ては、迷える人々を救済して法の世界へ帰って行かれた。次に法の世界からこの娑婆世界には、五十六億七千万年後に、弥勒仏(みろくぶつ)が生まれ出て迷える人々を救ってくださるということが教えとして整理されてきます。
 つまり、法を悟ってはじめて仏というのであって、仏よりもその背景にある法に目覚めることが大切であるということです。
 雑阿含経(ぞうあごんきょう)という経典にもこのような話が書かれています。
 釈尊の弟子に、ヴァッカリという修行者がいました。年をとり重篤な病気陥ったヴァッカリは、死が近いことを予感します。最後に釈尊を礼拝したい。その願いを聞きつけた釈尊がやって来ました。思わず身体を起こし、礼拝しようとします。その時「ヴァッカリよ、この腐(くさ)りゆく肉体を見てなんになろうぞ」とおっしゃるんです。私もあなたと同じように腐って死んでいく肉体を持っている。その肉体を拝むことにどんな意味があるのかということでしょう。続いて「仏(ぶつ)を見るものは法(ほう)を見る。法を見るものは仏を見る」と云われます。法を悟ってはじめて仏なのであって、法を見ることなくして仏を礼拝してはならないということだと思います。

   
教えの師と救いの主

 釈尊は、仏になる実践方法を教えてくださいました。その通りに出来る人はそれでいいわけです。病が軽い方です。ところが私も含めて圧倒的多数は、釈尊と同じように出家し修行生活をおくることができません。
 そういう私に、悟りに到る道は閉ざされているのでしょうか。
 いやいやそうではないんだ。迷いが深く重篤な病気のあなたのために、すべての人を必ず救うという阿弥陀如来の念仏の道がある。如来の願いが込められた念仏を拠り処に本願を聞きながら日暮らしを送り、必ず浄土で完全な悟りをひらき仏になることができる。そのように阿弥陀如来が仕上げて下さった。何も心配することはない。安心して人生をおくることができる道があると釈尊が教えて下った。阿弥陀如来から直接教えてもらったのではなくて、釈尊の言葉を通して教えてもらったのです。
 ですから、仏法に帰依するものは、浄土真宗の場合は釋○○と法名を名のり、「教えの師」である釈尊の弟子となります。一方礼拝するのは「救いの主」である阿弥陀如来ということになります。
 法の目的は、すべての人を救うということでしょう。そのことが阿弥陀如来によって成し遂げられる。釈尊がこの世に生まれたのは、まさしくそのことを教えるためであったと親鸞聖人はよろこばれました。

   
釈尊と阿弥陀如来の関係

 色も形もない法が、そのままの人格的表現として現れた相(すがた)が、阿弥陀仏である。その阿弥陀仏が釈尊をこの世界に送り出した。
『久遠実成(くおんじつじょう)阿弥陀仏 五濁(ごじょく)の凡愚(ぼんぐ)をあはれみて 釈迦牟尼仏としめしてぞ 迦耶城(がやじょう)には応現(おうげん)する』と親鸞聖人は讃えられています。
 釈尊は、阿弥陀如来が重篤の病を抱える凡夫を救うために現れてくださった分身(ぶんしん)であると見ておられるのです。
 以降、釈尊をはじめ諸仏は、阿弥陀の分身であり、弟子である。皆阿弥陀への帰依を勧めるはたらきをされているというように受け取るよ
うになって来ます。
 蓮如上人に到ると、『諸仏・菩薩と申すことは、それ弥陀如来の分身なれば、十方諸仏のためには本師本仏なるがゆゑに、阿弥陀一仏に帰したてまつれば、すなはち諸仏・菩薩に帰するいはれあるがゆゑに、阿弥陀一体のうちに諸仏・菩薩はみなことごとくこもれるなり。』
(御文章)と述べられるようになります。
 このように、弥陀一仏に、釈尊も諸仏も一体となって内に入っているから、浄土真宗の場合は弥陀一仏を礼拝の対象としているということです。
 ただ、弥陀といっても娑婆(しゃば)の方ではありませんので、具体的姿が分かりません。そこで弥陀の分身で一体である釈尊をモデルに木像や絵像をつくった。釈尊の像に阿弥陀様と言っているようなものです。この世の名前は釈尊というかもしれないが、法の世界ではそれを阿弥陀というということなのでしょう。
 浄土真宗寺院の御本尊には、仏飯が二つあげられています。一つは釈尊に、二つ目は阿弥陀仏にです。 
 
※五濁=末世においてあらわれる避けがたい五種の汚れのこと。①劫濁。時代の汚れ。②見濁。思想の乱れ。③煩悩濁。煩悩が盛んになること。④衆生濁。衆生の資質が低下すること。⑤命濁。衆生の寿命が次第に短くなること。迦耶城=インドのガヤーという町。そこで釈尊が悟りを開き仏となった。応現=形をとって現れること。


   正信偈のはなし 第八話


 五濁悪時群生海(ごじょくあくじぐんじょうかい)
  (五濁悪時の群生海)
 応信如来如実言(おうしんにょらいにょじつごん)
  (如来如実の言を信ずべし)
 能発一念喜愛心(のうほついちねんきあいしん)
  (よく一念喜愛の心を発すれば)
 不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)
  (煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)

 末代悪世にある一切の人々は、釈迦如来の真実の言葉を信じるべきである。本願を信じよろこぶ心が起これば、煩悩を断たないままで、涅槃を得ることができる。     

   
塞翁が馬

 中国の故事に「人間万事塞翁(さいおう)が馬」というのがあります。これは前漢の武帝の頃に編纂された「淮南子(えなんじ)」という思想書に書いてあるそうです。
 昔、中国北方の城塞(とりで)あたりに一人の翁(おきな)(老人)が住んでいました。ある日その老人が大切に飼っていた馬が、となりの胡の国に逃げていってしまいました。近所の人たちは、かわいそうにと慰めてくれます。ところが、その老人は「これがどうして福(ふく)にならないと言えようか」と言います。
 それから数か月、逃げた馬が胡の駿馬を引き連れて帰ってきました。皆は「よかった、よかった。財産が増えた」と喜んでくれました。家は栄えていきます。ところが、その老人は「これがどうして禍(わざわい)にならないと言えようか」と言います。変わった老人です。
 そんな折、胡(こ)の駿馬を調教していたその老人の息子が、落馬して太ももの骨を折ってしまいました。人々はこれを見舞ったのですが、その老人は「これがどうして福にならないと言えようか」と言います。
 それから一年がたちました。今度は敵の胡の国が城塞に攻め込んできました。体の丈夫な若者はみんな弓矢をもって戦いましたが、城塞近くの者は十人中九人までも亡くなってしまいました。しかし、この老人の息子だけは、足が不自由で戦にかりだされなかったために親子とも無事であった、という話です。
 このことから、人間、元々はジンカンと呼ぶそうでして、人の間つまり世の中というのは、万事すべてが、「塞翁(さいおう)が馬」のようなものである。   何が福になり、禍になるかは分からない。「禍福(かふく)はあざなえる縄(なわ)のごとし」ということわざもあるように、福が禍となり、禍が福に変化することは、世の常であり、それを見極めることは困難である。だから、幸福な時もそれは禍の種かもしれないから、驕(おご)ってはいけない。また、禍で不幸な時もそれは幸福の種かもしれないから、そんなに深刻になる必要もない。もっと鷹揚(おうよう)に構えて、目先の禍福(かふく)に一喜一憂せず、長期的な展望に立つことが大切だと教えてくれている人生訓のようです。座右の銘にしている人も多いと聞きました。私も好きな言葉です。
 ですが、この言葉を思い出すごとに、何か別のことを考えさせてくれる課題を背負っているような気がします。
 それは、私の見方によっては、それが禍に見えたり、福に見えたりすることはないのだろうか。何を禍とし、何を福としているのかという私の価値基準の問題です。
 これから出会っていくことは、禍になるか福になるか分からない。確かにそうだと思います。しかし、もっと深いところでは、私は何を禍とし何を福としているかという、私のものさしの問題が深く根本的に横たわっていると思います。
  「塞翁が馬」の場合、馬が大切な財産で、それを失うことが禍で、馬が増えることが福である。息子が落馬して怪我をした。病気や怪我をすることが禍で、健康なことが福だという前提があるように思います。
  「それは人間にとって当たり前のことで、一体何が問題なのか」と言われそうですが、仏法を聞かせていただくと、どうもそのことが私の問題の本質にあると気づかされてきます。

   
私のものさし

 私は、生まれながらのものと社会から影響されたものさしを持っています。
 たとえば、若くて健康なこと、長生きをすることがすばらしい(福)という、ものさしがあります。そうすると、老人になること、病気になること、短命なことはよくないことだ(禍)としか受け取れません。
 以前、お寺の掲示板に「生きてよし、死してよし、どことても御手(みて)の真ん中」という標語を掲示していたことがあります。するとそれを見た方が、「生きて良いのは分かるが、何で死んで良いんだ。仏教はそんな変なことを教えているのか」と言っておられるという話を人伝てに聞いたことがあります。私たちの常識からすると「生きて良し、死んで悪し」です。ところが、仏教が教えてくれる真実は、生は、良しでも悪しでもない。若いことも、年とることも、健康も、病気も、死もみんなそうである。生老病死という単なる生命現象です。敢えて点数付ければどんな時も皆百点満点です。けれども、私は、若くて、健康なことが良い(福)ことだという執着があるから、老人になることや病気になることが苦(禍)としてしか受け取れない。
 本来、これが本当のあるべき私だと執着すべきものは何もない「空(くう)」であるということが、仏教の教えているところです。
 ヘレン・ケラーは、「障害は不便である。しかし、不幸ではない。」と言いました。確かにそれが真実なんでしょう。ですが、私には、健康で五体満足なことが、幸せなことだというものさしがあるから、障害が不幸としか受け取れないものを抱えています。その私のものさしを取り払えば、今の私のあり方を百点満点に引き受けていける心が開けるはずです。
 年をとり、病気になった。「おぞいもんになった。つまらんもんになった」と思い悩む私がいます。しかし、それは真実ではなくて、私がそう勝手に思っているだけなんだと気づかされていくことは、その苦悩を乗り越えていく視点を与えてくれます。
 ただ、残念なことに、私自身が私のものさしから解放されることはありません。(裏面に続く)中面からの続き) それが私の幸・不幸を感じる基であり、生きる力の原動力になっているからです。人間を止めなければ、捨てなければ絶対に不可能なことです。
 この絶望するしかない私のために、阿弥陀如来は立ち上がってくださった。

   
仏のものさし

 お釈迦さま(釋尊)が、お亡くなりになり涅槃に帰られて、すぐに釈迦は「如来」(真実を悟った方)であるという表現が出てきます。そして、種々のお徳を讃歎する言葉として、「無量」(アミタ)という、計り知れない、限りがないという意味の言葉が使われてきます。やがて、お釈迦さまとその教えの永遠性と普遍性を、寿(永遠性)に限りがない、光(普遍性)に限りがない、と言うようになります。つまり、お釈迦さまとその教えこそ「無量寿(むりょうじゅ)」(アミターユス)であり「無量光(むりょうこう)」(アミターバ)であると讃歎されるようになりました。この無量寿と無量光を合体させた言葉が阿弥陀(あみだ)です。ですから、お釈迦さまとその教えこそ阿弥陀だと讃歎されてきた。後にその阿弥陀の人格的な象徴表現として阿弥陀如来が登場してきた歴史的経緯があったのではないかと思います。
 また、後に、釈尊の悟りは肉体上の束縛から解放されていない、余すところのある限界のある「有余(うよ)涅槃」であり、亡くなってはじめて完全な悟り「無余(むよ)涅槃」に入られたと理解されるようになります。
 この無余涅槃からのはたらきを浄土教では、阿弥陀如来と受け取ってきたように思います。釈尊の永遠性・普遍性を阿弥陀と言った。ですから、釈迦も弥陀も本来同じことなのですが、私が救われて仏になるということからすると、どうしても不完全なものよりも完全な無余涅槃のはたらきを象徴する阿弥陀如来が前面に出できて、釈尊が薄らいできた観(かん)が浄土教にはあります。
 ともあれ、その阿弥陀如来が、私を救うために本願を建て出現してくださった。
 本願とは、すべてのものを救わなければ仏にならないという、仏のものさしです。
 煩悩のものさしから解放されることのない私に、本願の仏のものさしに気付けと呼びかけてくださった。 
 仏教は欲望を無くせという教えではありません。その欲望をどの方向に向けるかです。
 如来の呼びかけに耳を傾け、私の欲望が如来の本願の心に生きようとするとき、私のいのちが感動し、私のいのちの意味と目的が明らかになっていきます。
 煩悩がそのまま如来の願いによって転ぜられていく。必ず悟りに到ることができる。
 そういう道を阿弥陀如来は私のために明らかにしてくださいました。    

 
  正信偈のはなし 第九話

 能発一念喜愛心(のうほついちねんきあいしん)
 不断煩悩)得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)
  (よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)
 凡聖逆謗斉回入(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう) 
 如衆水入海一味(にょすいすいゅうかいいちみ)
  (凡聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし)
 
ふたごころなく阿弥陀如来の本願を信じよろこぶ心がおこれば、煩悩を断ちきらないまま、浄土でさとりを得ることができる。凡夫も聖者も、五(ご)逆(ぎゃく)謗法(ほうぼう)という極悪の者も、みな本願のお心に帰すれば、川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われて悟りをひらくことができる。 

  氷と水の同質性
 
 大乗仏教では、迷いと悟りの関係が氷と水に譬(たと)えられてきました。氷が迷いで私の世界、水が悟りで仏の世界をあわわしています。この氷と水を「同質」と見るか、「異質」と見るかによって教えの受け止めがかわってきたように思います。
 本来は、氷も水も分子レベルでは共に「H2O」で「同質」です。そういうことから、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだいい)」「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」とか、「仏凡一体(ぶつぼんいったい)」(仏と凡夫は本来一つである)などと言われてきました。
 ですから、釈尊の悟りというのは、何か特別な能力を身につけるとか、スーパーマンになるとか、何か違った私になるということではないのです。私の命の全体のあり方に気づいた釈尊は、そのことを「縁起(えんぎ)」ということばで言い表してくださいました。後に「一如(いちょ)」「真如(しんょ)」とか、龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)は「(くう)」ということばで表し直してくださっています。もともと私の命は「空」という在り方をしているのに、固定的な自分が存在すると執着し煩悩に縛られている。それが、私の苦悩の元凶で、心身ともにそこから解放されることが釈尊の目覚めた悟りということの基本的な内容ではないかと思います。極端な言い方をすると、私ははじめから、悟りの中にいるのであって、私の煩悩がそれを見えなくしている。そこから解放されると、私の「そのまま」「ありのまま」が涅槃ということになるわけです。

 釈尊はつぎのようにお説きになりました。
 「テーリーガーター」(長老尼偈経)というパーリ語経典に、ウッビリー尼の話が書かれています。概略私的な和訳でお話しますと、
 王妃であった母ウッビリーは、幼い娘ジーヴァーを亡くしました。その悲しみは深く、林で荼毘(だび)に付しながら、わが子の名をいつまでも泣き叫んでいます。それを見かねた親族が釈尊にたのみました。
 訪れた釈尊は
 「あなたは先ほどから、ジーヴァー、ジーヴァー、といって泣いているが、どこのジーウァーを泣いているのか。この火葬場では、八万四千人のジーヴアーという娘が焼かれた。そのどれのジーヴァーを悲しんでいるのか」と問いかけます。
 その時、聡明であった彼女はハッと気が付くのです。
 「お釈迦さま、あなたは、私の心に刺さって居る見難い矢を言い当て、抜いて下さいました。悲しみに打ちひしがれているわたしの為に、娘の死の悲しみを除いて下さいました」
 「今や、わたしは矢を抜き取られて、悲嘆の無い者(無欲)となり、円(まど)かな安らぎ(涅槃の境地)を得ました。どうかお釈迦さまのお弟子にしてください」
と言って、尼僧となって悟りをひらいていくという話です。

 私という命は、あらゆるものが関係し繋がりあいながら生滅変化し、いま仮に私として集まり成り立っているにすぎません。事実として、固定的に普遍的に存在している私などというものはどこにもありません。それが「空」ということなのでしょう。それは、皆が一つ(一如)であるような、親鸞(しんらん)さまの言葉を引用すれば、「一切の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母・兄弟なり」という、繋がっている命の世界です。
 誰が亡くなっても、涙すべき関係性を生きていながら、何故近しい人の死にしか涙できないのか。
問題の本質は私の煩悩にあったのではないか。
 優れた先生であった釈尊に導かれて、幾(いく)ばくかの弟子たちは、この世で自らの煩悩から解放されて悟りに到ったとされています。
 これが仏教の基本的な原理です。

  氷と水の異質性

 ところが、釈尊滅後徐々に状況が変わってきたように思います。氷と水の「異質」の方が、大きくクローズアップされてきました。
 私の煩悩と罪業は余りにも深く、仏の悟りとは決定的に隔絶(かくぜつ)されている。今や、釈尊という絶対的な先生もおられない。更に時代の推移と共にこの世で悟りを開くという環境も衰(おとろ)えていく。煩悩を滅すれば悟りに到るというのは、原理としてはそうかもしれないが、現実には全く不可能で、「絵に画いた餅」、観念にしか過ぎないのではないか。
 そんな状態の圧倒的多数の私たちが、煩悩の日暮らしを尽くしながらも、悟りに到る道などというものがあるのだろうか。
 「いや、釈尊は自分がいなくなっても、全ての人が悟りに到ることのできる道を必ず用意されていたはずだ」と、
 その道として、釈尊滅後五百年頃から、大乗仏教と言われる仏教復興運動が盛り上がり、阿弥陀如来が登場するようになってきました。
 それは、釈尊が何百回も生まれ変り死に変わりして修行を重ね、この娑婆(しゃば)世界に生まれて悟りを開くことができたと理解されるようになったように、私も先生と環境に恵まれた阿弥陀仏の浄土に生まれ変わり、必ず悟りに到ることができるという道です。 
 阿弥陀仏がそのような道を完成してくださった。
 実は、私の方からは氷と水が「異質」であるように、仏とは全くかけ離れています。しかし、仏の側からは、氷と水が「同質」であるように、私と仏は一つであり、つねに仏のはたらきの中にいるのでした。ただそれに気付いていなかったということです。
 気づかない私に、かたちとなって現れてくださったのが阿弥陀如来でした。そこの経緯を親鸞さまは、唯信鈔文意の中で
 『法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば』
と述べておられます。
 「一如」という仏の悟りの世界から法蔵菩薩としてかたちをあらわし、すべてのものを浄土にすくいとり悟りを開かせるという願いを建て、阿弥陀仏に成られた。そしてその願いとはたらきを南無阿弥陀仏込めて、あらゆる人々に届けられているのでした。
 私が分かるように象徴的人格体として現れてくださった。「空」が阿弥陀仏となってそのはたらきをあらわにしてくださったということでしょう。
南無阿弥陀仏に込められたそのはたらきを疑いなく受け入れたところ(信心)に、私の煩悩の闇を知らされ、如来の願い(本願)のなかに私のねがうべき方向と世界を、悟りに到る確信を知らされるのでした。
 凡夫である人間は死ぬまで煩悩はなくなりません。煩悩があるから苦しみ悩みが絶えることもありません。しかし、煩悩があるから苦しみ悩むからこそ、如来の真実に出遇い目覚めるということができるのです。そこに煩悩がそのまま如来の心へと転ぜられ続けていく歩みと生活が開けてきます。
煩悩の闇から抜けることのできないあらゆる人々のために、これ以上のない阿弥陀如来という先生によって、真実へと導かれていく道が用意されていたのでした。
 その如来に出会った慶びを親鸞さまは、
 『煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり』(高僧和讃源信讃)
 『無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこほりとけ すなはち菩提のみづとなる』(高僧和讃曇鸞讃)
とうたわれました。                             合掌
 
              

   正信偈のはなし 第十話

摂取心光常照護 (せっしゅしんこうじょうしょうご)
 (摂取の心光、つねに照護したまふ)
已能雖破無明闇 (いのうすいはむみょうあん) 
 (すでによく無明の闇{やみ}を破すといへども)
貪愛瞋憎之雲霧 (とんないしんぞうしうんむ) 
 (貪愛・瞋憎の雲霧)
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)
 (つねに真実信心の天に覆{おお}へり)

 阿弥陀如来の光明は、常に私を照らし摂め取って護ってくださる。すでに無明の疑いの闇ははれていても、貪(むさぼ)りや怒りの心は、雲や霧のように真実信心の空をおおっている。

   月の影

 本願寺中興の祖といわれるのは、第八代門主の蓮如上人です。この同じ室町時代には、「とんちの一休さん」として今日も親しまれている、一休禅師がおられました。親交が深かったと伝えられています。
 いくつか、逸話が残っていますが、
 ある時、蓮如上人の書かれたお手紙(御文章)を見ていた一休禅師は、蓮如上人に一首おくります。
 「阿弥陀には まことの慈悲は なかりけり たのむ衆生をのみぞ 助くる」
 阿弥陀様は、平等の慈悲であらゆるものを救う仏であるという。ところが「御文章」には、たのむ衆生は救うが、たのまん衆生は助からんと書いてある。たのむ者もたのまん者もみな救うのが真実の慈悲であって、これでは本当の慈悲の仏とは言えないのではないか、ということなのでしょう。
 これに対して、蓮如上人は、
 「阿弥陀には (へだ)つる心 なけれども (ふた)ある水に 月はやどらじ」
と返した、という話が残っています。
 これは、親鸞聖人の師匠である法然上人が詠まれた「月影の いたら
ぬ里はなけれども ながむる人の 心にぞすむ」というところからの依用かと思います。
 阿弥陀如来の救いは成就され、月光にようにあらゆるものにすでに届いている。しかし、私たちの煩悩の雲霧がそれを見えなくしている。阿弥陀様側の問題ではなくて、むしろこちら側の問題だということなのです。


   
信心ということ

 『聖人(親鸞)一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ』(御文章)と蓮如上人が言われるように、浄土真宗の根本は信心にあります。
 信心とは、仏の教えを確信して疑わない心ですが、一般的には、神仏を信仰することや祈願することのようにも受け取られています。
ともあれ、誰が信心をするのかというと私の心であり、主体は私の方にあると思っています。    
 ところが、仏教を学ばせていただくと問題の核心は、自我(じが)に閉ざされた「自己中心性」「無明煩悩」にあると気づかされます。釈尊は、私たちの苦悩の根本原因を「無明」であると明かしてくださいました。明るく無いんです。明るく無いから正しく見れない、偏った見方になる。それを「分別智」といいます。私にとって良いものと悪いものを分けて別にみる智慧です。因みに仏は、「平等智」「無分別智」といって分け隔てなく平等にみる智慧です。
 例えば、「老い」・「若い」、「病気」・「健康」という状態があると、「若い」、「健康」が良いことのように見えてしまう。そして、そういう良いことのように見える状態の我(われ)でありたいと執着する。それを「我執(がしゅう)」といいます。現実は「病気」になり「老い」る私がいますから、その我執が私を苦しめ「煩悩」になっていくと教えてくださいました。
 ここの正信偈のところでは、「貪愛(とんない)瞋憎(しんぞう)雲霧(うんむ)」と表現されています。
 この「自己中心性」「無明煩悩」は私の苦悩の根源であり、仏教はそれからの解放を説いています。しかし、それは私の生存そのものの本質であり、そこから解放されることは、現実に肉体をもって生きている限り、構造的に不可能です。絶望するしかありません。
 親鸞聖人は、『いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし』と、煩悩の闇の深さを永遠に地獄から逃れることのできないわが身であると受け止めていかれました。こちらの側(私の心)に決定的な構造の欠陥がありました。
 ですから、その欠陥の心で、信心をいくら深めていっても「自己中心性」「無明煩悩」が強くなるだけであって、そこから解放されることにはなりません。
 私の起こす信心には、真実はありません。


  
如来よりたまわる信心

 それでは浄土真宗でいう信心とは、どういうことなのでしょうか。
信心のことを親鸞聖人は、「真実信心」「金剛の信心」「清浄の信心」「無疑心」などと表現されています。「うそ、いつわりのない清らかな真実の心」という意味でして、これは如来様の心を指しています。浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)には『信心はすなはちこれ(阿弥陀如来の)大悲心なるがゆゑに、疑蓋(ぎがい)(疑いの(ふた)=煩悩)あることなし。』と述べてあります。
つまり、浄土真宗の信心とは、私の起こす心を言うているではありません。如来の真実の心(慈悲心)を言うてあるわけです。
 私たちの命の事実(真実)は、「縁起するいのち」です。一切の存在は、あらゆるものが相互に依存し関係し合いながら、仮に依り集って成り立っている。永遠不滅のようなものは存在せず、常に生滅変化を繰り返しています。日常用語で「地球は一つ」とか「宇宙は一つ」という表現のし方がありますが、そのようにあらゆるものはどこか「一つ」(一如)に繋がり関わり合っている「いのち」を生きています。
 しかし、この「いのち」を、これは誰ともかかわりのない固定した私の命だ。私の人生だという「我執」でしか見れない。その我執の通り、自分の思う通りにならん命だと言って「煩悩」となって私を苦しめ悩ませ、迷いを深めているとも気づかないのが私の姿でした。
 こういう私のために、「縁起するいのち」の真実に目覚めたはたらきが、一如平等の世界からかたちをあらわし、形となって現れてくださった方が阿弥陀様であると親鸞聖人は受け取っておられます、
 真実の信心は阿弥陀様のところにあります。その心を南無阿弥陀仏の名前に込めて私に「わたしの世界にこそ真実の救いがある」と呼びかけてくださっている。その如来のはたらきを受け取った姿を「信心」と表現はされています。
確かに信心は私の心に起こる現象ですが、私のものではありません。
 如来さまのお心(本願)を聞かせていただくと、その願いの中に私の
生死を貫く道があると深くうなづけることがあります。仏様のお心が分かり、何か信心をいただいたような気になります。その自信(慢心)が人師(指導者)となったり、如来の心が頂けない人を哀れんだりすることにつながっていきます。そのことは如来のお心と明らかにずれています。仏法を聞けば聞くほど、私の心(煩悩)のなかに仏様の心を取り込んで、仏法からずれていく危険性を常にはらんでいる。
 親鸞聖人は、如来の心(真実信心)をわが心(信心)にしてはならない。『弟子一人も持たず候』『御同朋御同行』(みな平等である)であると厳しく戒めていかれました。
 私が起こす信心では救われません。
「如来よりたまわる信心」とか「他力(如来の本願力)の信心」、「ご信心」という言い方がしてあります。私の起す心なら「ご」という尊敬語は使いません。
 「信知」(知らされる)、「信受」(受け止めていく)、「信順」(如来の仰せに順っていく)という言い方もされています。
 私の我執煩悩(私の信心)をものさしに生きるのではなくて、如来の願い(真実信心)をものさしとして、常に仰ぎ聞き続けていくことの大切さを、『信心をもつて本(ほん)とせられ候』と表現してくださってあるように思います。 合掌                 
 

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