善人ばかりの家庭

  「善人ばかりの家庭は争いが絶えぬ」という言葉があります。善い人ばかりが集まっている家族ですから、さぞか
し仲良くて楽しそうな家庭なんだろうと思ってしまいます。しかし、実際は善人ばかりが集まると喧嘩が絶えないというのです。
 ここでいう「善人」とは、「自分は正しい」「百点だ」と思っている人のことを言うのでしょう。
 私の好きな話に青柳田鶴子さんの「100点と0点」というがあります。

 太郎君の家の隣りはBさんの家でした。太郎君のお父さんは会社員です。家には、お母さんとおばあさんと、小学生の太郎君の四人が住んでいます。Bさんもサラリーマンです。そして同じ様に四人家族でした。ほんとによく
似た隣同志ですが、太郎君の家族はみんな「自分はダメ人間だナー、点数でいうと0点だナー」と思っているのです。Bさんの家の人たちはみんな「自分はしっかり者だ、点数でいうと100点の人間だ」と思っているのです。
 今日も太郎君のお父さんは会社から帰って来ました。「ただいま」といって玄関に上がった拍子に、そこにおいてあった湯のみ茶碗にけつまづいたのです。ガチャン、湯のみはわれてしまいました。「アッしまった。よく見て上が
ればよかった。」と頭をかいているところへお母さんが飛んで来て「ごめんなさい。私がすぐに片付けておけばよかったのに」とあやまりました。飛び出して来た太郎君も「お父さんケガはなかった?」と心配しました。奥から出て来
たおばあさんも「大丈夫かい、私が片付けておけばよかったものを、年がいもなくて」と、みんな自分が悪かったと思ってあやまり合いました。
 同じ頃隣りのBさんも会社から帰って来ました。玄関には同じように湯のみ茶碗があったのです。Bさんもうっかり足にひっかけてガチャン!とわってしまいました。「だれだ、こんなところに湯のみを置いといたのは!」とどなっています。奥さんは「よく見て上がればいいでしょ」といいかえしました。おばあさんは「みんなボヤボヤしているからだよ、あの湯のみは高かったのに」とぐちをいいました。
 同じ事件が起ったのに、太郎君の家ではケガのなかったことを喜んでニコニコと夕飯を食ぺましたが、Bさんの家の夕食はまずいものになりました。自分が100点と思っていると皆、人が悪い様に思えるのです。親鸞聖人は
「自分は0点だ」とおっしゃったすばらしい方です。あなたは何点でしょう?

 という話です。
 自分は、正しくて間違いなんか犯すはずがないと思っている人は、他者を裁きの目で見たり、自分の非を他者に転嫁しがちになります。そこには、お互いの尊厳に出会い、心を通わせるという世界は開けてこないように思います。
 親鸞聖人は、法然様の言葉をいただいて「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と云われています。仏さまに照らされるとみんな愚かな凡夫だったなあということです。
 正しいことを主張しあうのは、大切なことです。ただ同時に私も相手と同じような罪を犯しかねない愚かな凡夫であったなあと目覚めていくところに、相手と通じ合える世界が開けてくるのではないでしょうか。
 
     須弥山の世界観

 本願寺派のお坊さんなんですが、大阪に清岡隆文という先生がおられます。この方が北米・南米の開教区へ出かけられた時のことです。
 これから北米などをまわるということで、大阪で世界地図を買いまして行く場所を確認した。そして、アメリカへ渡った際に、現地でも世界地図を買ってみたそうです。世界地図ならどこで買っても同じかと思っていたら、驚いたこ
とに日本で買った世界地図とアメリカで買った世界地図は、言葉以上に根本的に違っていた。日本で買った世界地図は、日本が真ん中に描いてあり、アメリカで買った世界地図はアメリカが真ん中に描いてあった。それを見ながら先生は、私たちの世界観がよくそこに表われていると思ったとおっしゃっていました。 
 釈尊は、人間はどこまでも自分中心に考えるようにできていると云われます。自分を中心に置いて考え、自分が正しいと主張し合えば、自ずと争いになります。家庭から、国家間に至るまでそうでしょう。国家間の争いはみな
互いに「正義の戦争」を主張します。
 このような私たちの世界観のあり方に対して、仏教では須弥山説という世界観を示しています。
簡単に言うと、宇宙に風輪(ふうりん)という銀河系を貫くようは大きなお盆みたいなものが浮いている。その真ん中に高さ十六万由旬 (今日の高さでいうと百十二万キロメートル程度)の山がそびえ立っていて、その上に仏様の世界が広がっている。そして、須弥山のふもとは、湖になっていて、四つの島が浮いている。その島に生きとし生けるものが住んでいるという世界観です。
 なんだか幼稚な話に聞こえますが、これは何を伝えようとしているかというと、上から見るとよく分かります。真ん中には、仏さまの世界が開けています。生きとし生けるものは、周りから仏さまを拝むという図になります。
 人間は、いつも自分は正しいと自分を中心に置いて考えようとします。みんながそうだから争いが絶えない。だから、大事な中心は仏さまに譲って、みんなが一歩下って周りから仏さまを拝み、私の真の姿を照らし出されていけば、み.んな争うことがなく、互いに和み会う世界が開けていくということを現しているように思います。
 お寺の本堂に安置されている阿弥陀様の台座を須弥壇といいます。仏教の須弥山説という世界観を現しています。みなさんのご家庭の仏壇の阿弥陀様の台座も須弥壇として形作られています。
 仏の世界へ帰っていかれた亡き方々を偲びつつ、仏壇を拝む際には、阿弥陀様の台座の須弥壇は、仏教の世界観を私たちに訴えかけているのだと受け取りたいものです。


   
   仏壇(ぶつだん)の前に座って

     ヘレンケラー

 一八八〇年六月、アメリカのアラバマ州タスカンビアという町に、ヘレンケラーは生まれました。三重苦の病を背負いながらも、後にハーバード大学附属のラッドクリフ女子大学を卒業され、社会福祉家として宗教家として世界
的に活躍をされた方です。多くの彼女にまつわる本や、子供向けのマンガなども出版されています。
 日本には三回来られていまして、日本のヘレンケラーと言われた中村久子さんとも会われています。中村さんは、一八九七年の生まれで、両手両足の切断(三歳の時)という重い障害を抱えながら、苦難の多い人生をお念仏一筋に力強く生き抜かれた方です。互いに出遇えたことを深く喜ばれたと伝えられています。
 さて、ヘレンケラーは、二歳の時に原因不明の熱病にかかって重体に陥ります。辛うじて一命はとりとめたものの、目が見えない、耳が聞こえない、話せないという三重の苦しみを背負うことになりました。両親の嘆きはどれ
ほどだったでしょう。八方手を尽くしましたが、当時の医学では彼女の病気を治すことは出来ませんでした。
 それでも、せっかく人間として生まれてきたのだから、何とか人間としての心を育てたいと願われた両親は、七歳の時にアン・サリバン先生(女史)に教育を頼みます。
 タスカンビアの自宅を訪れたサリバン先生は、両親とヘレンを前にどうしようかと悩んでいました。どうすれば教育が出来るのだろうか。
 丁度、ヘレンはパーキンズ盲学校から贈られた人形を持って遊んでいました。
 ふと思い立ったサリバン先生は、楽しそうに遊んでいたヘレンから人形を取り上げました。そして、きょとんとしているヘレンの手のひらにDOLL(人形)と文字を書いてみました。もう一度人形を持たせる。また、手のひらに文字を書く。そんなことを何回か繰り返しているうちに、今度は、へレンがサリバン先生の手のひらにDOLL(人形)と書いてくるではありませんか。
 これなら何とかいけそうだ。そう直感した先生は、それから、ヘレンに物を触らせ手のひらに文字を書くという方法で、教育をはじめていきました。三ヶ月にして、ヘレンはもう三百の言葉を覚えたといわれています。そうして沢
山の言葉を覚え、大抵の言葉を理解できるようになりました。大変な努力であったろうと思います。
 ところが、どうしても分からない言葉がでてきました。それは「愛」という言葉です。
 確かに、何物も自分が手のひらで触れて見ぬ限り、理解できなかったそのころのヘレンにとって、手で触れてみることができない「愛」は、なかなか分からなかったようです。

 ある朝、先生と庭で遊んでいるときに、思い余って聞きました。
「先生、愛とはなんですか」
サリバン先生は、そっとヘレンの手を取って、「それはここにありますよ」とヘレンの心臓を指さしました。
 自分の心臓がドキンドキンと鼓動を打っています。けれども、どうもよく分かりません。その心臓の鼓動が「愛」で
ないことは、おぼろげながら分かります。
 そこで、先生が持っておられたスミレの花の匂いをかいで、「先生、愛とは花の美しさのことですか。」と聞きまし
た。
 「いいえ、それは愛ではありません」
 先生はそう言われました。
 ヘレンは、また考えました。その時暖かい太陽が照らしていました。
今度は、暖かい太陽の光のさしてくる方向を指さしながら、「先生、これが愛ではありませんか」と聞きます。けれどもサリバン先生は今度も首を振られました。ヘレンは、困ってしまって、がっかりしました。先生はどうして「愛」を
示すことができないのだろうか。不思議でたまりません。
 そんなことがあって何日かたちました。
 その日は、朝から降っていた雨もあがり、雲に隠れていた太陽がさんさんと輝きをましていました。
 ヘレンは、太陽を指さしながら、もう一度先生に「これが愛ではありませんか」と尋ねました。
 その時先生は、「愛とは、今、太陽が出る前まで、空にあった雲のようなものですよ」と答えられました。
 「あなたは手で雲に触れることはできませんが、雨には触れることができます。そして花や渇いた土地が暑い一日のあとで、どんなに雨を喜ぶかを知っています。あなたは愛には触れることができませんが、それがあらゆる物
に注ぎかける優しさを感じることはできます。愛がなければあなたは幸福であることもできず、その人と遊ぶことも望まないでしょう」

 ようやくヘレンは、「愛」を理解できるようになり、自分の心と他の人の心との間には、目に見えぬ糸がむすばれていることを感じるようになりました。 

     お仏壇とは


 お仏壇は、仏様の国(浄土)をかたどったものです。言葉を変えれば、
仏さまの「愛」、仏教では「慈悲」という言葉で表現してきましたが、その心が形となって私たちにとどけられたものと受け取ることができます。
 雲が雨となって具体的にそのはたらきを示すように、お仏壇は、阿弥陀さまのお慈悲や仏さまの世界(浄土)へ帰っていかれた亡き方々の心の、私への具体的なはたらきといえるでしょう。
 お仏壇の前に静かに座って、その荘厳を通して、阿弥陀さまや亡き方々の「愛」を感じ取り、日々の日暮しを見つめ直したいものです。
           

 


     少利口(こりこう)(うさぎ)

  昨年の十二月から例年にない大雪となり、雪の始末に追われている毎日です。十何年ぶりでしょうか。屋根に上がって雪下ろしもしました。
 ところで、仏典にはあまり雪の話はでてきません。もちろん、暑いインドの国で説かれた教えだからです。地獄という描写でも、熱い方の地獄は、事細かに書いてありますが、寒い方の地獄は数行しか書いてありません。雪が
降って凍りつくような寒さということが具体的にイメージしにくかったのでしょう。
 そんな雪の話が少ない仏典の中に、次のような話がでていると山田行雄という先生が紹介してくださいました。
 【冬になりますと、大変な大雪になる地方に、一匹の小利口な兎が住んでいました。この小利口な兎は、冬になると、来る日も来る日も、大雪吹雪であることを知っています。そこで、小利口な兎は、夏から秋にかけて、冬の食
糧を一生懸命集めにかかりました。
 その努力の甲斐があって、ひと冬は十分に越せるほど集めました。ところが、さて集めた食物をどこに隠しておこうか…。低い目印であれば、冬の大雪で雪の下になってしまいます。そこで兎は、どれほど多く雪が降っても雪の下にならない何か高い目印はないものかと、ふとお空を見上げました。すると、たまたまそのお空に、真っ白な雲が一つぽっかと浮いていました。小利口な兎は「しめた」と思いました。
 冬になって、いかに多く雪が降りましょうとも、あのお空に浮いている白い雲までは雪はとどかないであろうと思ったからです。
 小利口な兎は、そのお空に浮いている白い雲を目印に、その下へ、夏から秋にかけて一生懸命に集めた食物を隠しておきました。
 やがて冬が来ました。今年も例年のごとく、来る日も来る日も大雪吹雪です。でも冬ごもり穴ごもりをしている小利口な兎は「わたしは大丈夫だ。どれほど雪が降ろうと、ひと冬は十分な食物は集めてあるし、どれほどの大雪
であろうと、あそこまでは積もらないと思われるお空に浮いた白い雲が目印だ」と、穴の中で大安心とゆっくり寝ていました。
 その小利口な兎が目をさまし、そろそろお腹がすいてきました。さて、夏から秋にかけて一生懸命に集めておいたあの食物を取りに行くため、穴を出ました。あたり一面は銀世界、鉛色の空からは、雪が限りなく降っています。
 兎が食物を取りに行くためには、先ず食物を隠しておいた目印を見つけなければなりません。この兎が集めた食物を隠しておいた目印とは、何だったでしょうか。そうです。お空に浮いていた真っ白な雲でした。
 なるほど、兎が食物を隠したその時は、お空に真っ白な雲が浮いていたに違いありません。でも空に浮いている雲は、風が吹き来りますと、どこかへ飛んでいってしまうものです。兎は鉛色の空を見上げながら白銀の原野で、
「あの時の白い雲はどこだ。あの時の白い雲は……」と目印にした白い雲をさがしまわりながら凍え死にしてしまった】という話です。

  さて、その小利口な兎とは誰のことなのでしょうか。
 
 私たちは、何をたよりとし、目標として、目印として生きているのでしょうか。ともすれば、健康や財産、地位や名誉、家族であったり友人であったりします。しかし、無常の風が吹けば、そのようなものはどこかへ飛んでいってし
まって何の役にも立ちません。雪の原野で凍死した小利口な兎と変わらないことになってしまいます。
 だからといって、お金も家族も捨てて仏道を修行しなさいということを浄土真宗は言っているのではありません。
確かに生きていくうえでは、お金は必要ですし、家族はたよりです。ただ、それらは自分の死を乗り越えて、死を貫いていけるような目標やたよりとはならないということです。
 道綽禅師という方は、大風が吹くと木は普段傾いてた方に倒れると云われました。
 時折、病気などで死に直面した方の絶望から憔悴しきった様子を見かけることがあります。癌の末期患者のところに数ヶ月間仏法の話をする為に通ったこともありました。ですが、普段から自分の死を乗り越えていける道を見
いだしていない方は、いざというときに混乱して旨くいきません。あっちへフラフラ、こっちへフラフラどちらに倒れるのか不安でたまりません。やはり、元気で頭もしっかりしているときに自分の死を乗り越えていく道を見だしている方は、いざというときは、ちゃんと倒れるべき処へ旨く倒れるようです。道綽禅師もそういうことを云われたかったのでしょう。
 浄土真宗は、自分の生死を貫く確かな目標と拠り処を仏様の普遍的な精神に学び取って、今の私の生活を見据えていくことの大切さを教えてきたように思います。

 

  
   
何が真実のご利益なのか

 浄土真宗はご利益(りやく)を説いている教えです。それも真実のご利益です。大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)には『恵むに真実の利(り)をもつてせんと欲(おぼ)してなり』と説かれ、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)が真実の
ご利益もたらすために浄土を建立して、その全ての徳をお念仏に込めて、私たち(衆生)の救いを成就(じょうじゅ)してくださったことが明らかにされています。また、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)もお念仏をいただかれた生活のすばらしさを「現世利益和讃(げんぜりやくわさん)」などをとおして明らかにしてくださっています。
 しかし、皆さんには、ピンとこないかもしれません。「えっ、いつから浄土真宗はご利益を説くようになったんですか」と問われる方もあるでしょう。確かに病気治しや家内安全・商売繁盛などのような世間一般で言われるご利益
は、浄土真宗では直接は説いていません。ですから、世間で言われているご利益とは、質を異にするご利益と言うことができるのかも知れません。
 ある七十歳過ぎの男性が、お医者さんに診てもらった時の話です。
健康に不安があったその男性はお医者さんに聞きました。

(男性)「先生最近からだの調子が悪くて不安なんですが、このままで百歳くらいまで生きられるでしょうか。」 
(医者)「あなた酒とか、タバコやりますか」
(男性)「いいえ、どちらもやりません」
(医者)「賭(か)け事とか、女性に興味があるとか、趣味とか、何かありませんか。」
(男性)「いいえ、賭け事はやりません。特別趣味というのもありません。先生、それにこの年ですから、色気もへっ
たくれもありませんわ。」
するとお医者さんは、
(医者)「それじゃ、あなた百まで生きて何するわけ?」
と言われたそうです。

 笑うに笑えない話です。お医者さんは冗談のつもりで言われたのかも知れませんが、何が人間にとって大切なことなのかを考えさせてくれる話だと思います。
 つまり、私たちの日暮らしは、「健康で長生きする」とか、それに「お金を儲ける」「立派な家に住む」「身を楽しませる」等々、生きていくための環境を豊かにするというか、「人間の外側」の利益を求めてという部分が多いので
はないか。しかし、それだけでは生きられないのが人間である。もっと「人間の内面」というか、私の生きる意味や使命、願いや希望ということが大切な問題なのではないかということです。
 確かに、健康で長生きすることはすばらしいことです。お金は無いより有った方がよい。やっぱり、立派な家に住みたいわけです。だけどよく考えてみると、それらは生きていくための「手段」であって「目的」ではないような気が
します。ただ単に健康で長生きするだけのために私は生まれてきたのでしょうか。ただ単にお金を儲(もう)け、りっぱな家を建てるだけのために私の人生はあったのでしょうか。
  そこに私の人生の「目的」は何かということが問われるわけです。
 親鸞聖人は中国の曇鸞(どんらん)大師(だいし)という方を大変尊敬されていました。その曇鸞様は、十五歳で出家し、広く内外の典籍(てんせき)を学び仏教学者となられています。偶々(たまたま)「大集(だいじっ)経(きょう)」という今日でいえば百科事典みたいような膨大な教典の註釈をはじめられますが、道半ばにして病気にかかってしまいました。こんなことではこの大事業は成し遂げられない。何とか健康で長生きせねばならない。そう思った大師は、揚子(ようす)江(こう)の南に住む道教(どうきょう)の第一人者といわれた陶弘景(とうこうけい)を尋ね、不老長
生の仙術を問い、仙(せん)経(ぎょう)を授かりました。
 よろこび勇んで洛陽の都へ帰ってきます。その時、インドから来ていた「孫悟空」の話のモデルになっている経典翻訳僧(三蔵法師(さんぞうほうし))菩提流支(ぼだいるし)三蔵(さんぞう)に会うわけです。
 「仏教にはたくさんの経典がありますが、この身体を長らえさせる長生不死を説く仙経より勝れたものはないでしょう。」と大師は誇らしげに聞きます。すると三蔵法師は、 「あなたは一体何をやっているのか。どんなことをしても身体は必ず滅んでいきます。それよりも、あなたの生きる意味と目的を今仏法に問い、永遠の〔いのち〕を仏法から学び取ることが大切ではないのか。この〔観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)〕を授けるから、真の利益とは何かをここから学びなさい」と喝破(かっぱ)します。
 今まで何を仏教から学んできたのか。深く恥入った曇鸞大師は仙経を焼き捨てて、長くお念仏の道に帰依せられたといいます。
 そのところを親鸞様は、正信偈(しょうしんげ)のなかに「三蔵流支(さんぞうるし)、浄(じょう)教(きょう)を授(さず)けしかば、仙(せん)経(ぎょう)を焚(ぼん)焼(しょう)して楽邦(らくほう)に帰(き)したまひき」とお述べになっています。
 私たちにとって何が真実の利益になるのでしょうか。
阿弥陀如来は、私の「いのち」の生きる意味と目的を明らかにしてくださっています。            
 『本願力(ほんがんりき)にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳(くどく)の宝(ほう)海(かい)みちみちて 煩悩(ぼんのう)の濁水(じょくすい)へだてなし』〈高僧和讃〉


 
   
いのちの大地
     蝉(せみ) の 声

 宗祖(しゅうそ)親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)が尊敬されたていた七人の高僧(七(しち)高僧(こうそう))の中のお一人に曇鸞(どんらん)大師(だいし)という方がおられます。西暦四百年代後半の中国北魏(ほくぎ)時代に生まれられた人です。親鸞の鸞(らん)は曇鸞の鸞(らん)からいただかれたと言われています。
 その曇鸞(どんらん)様が書かれた「往生論註(おうじょうろんちゅう)」という書物の中に、蝉(せみ)のことを書かれた一節がありまして、夏の暑い盛りに蝉の声を聞くといつも思い出します。
 「蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、この虫あに朱(しゅ)陽(よう)の節(せつ)を知らんや」という言葉です。
蟪蛄(けいこ)とは、夏(なつ)蝉(ぜみ)のことだそうです。蝉は春と秋を知らない。どうしてこの虫が、太陽が鮮やかに輝く夏のすばらしさ(朱陽の節)を知っているだろうか、という意味かと思います。私たちは、太陽が燦々(さんさ
ん)と輝き汗がほとばしる夏の季節に蝉の声を聞くと夏の象徴のように感じます。蝉こそ夏のすばらしさを知っているに違いないと思う。しかし、曇鸞様は、蝉は四季を知らないではないかと言われる。ご存知のように蝉は地中で何年も過ごし、夏に十日ほど地上に現れて命を終えていきます。だから、春・夏・秋・冬の全体を知らないわけです。四季を知っているものが夏の盛りに蝉の声を聞いて、夏のすばらしさを感じるのであって、夏しか知らない蝉には夏のすばらしさは分かるはずがないということです。
 もっともと言えばもっともな言葉ですが、曇鸞様は何を問うているのでしょうか。
 それは、蝉のことを題材としながら、実はわたしたちの「いのち」を問うている言葉であると思います。私の「いのち」はどこから生まれて、どこへ帰って行こうとしているのでしょうか。
 人間は蝉より圧倒的に長生きします。しかし、肉体的に生まれてから死ぬまでを命のすべてと思い、今の欲望に振りまわされて唯生きるだけでは、蝉と同じ事になってしまうのかもしれません。命の全体像、「いのちの大地」
を知り得てこそ、今を生きるよろこびと輝きがいただける。仏法はそのことを教えています。
 あなたは、自分のいのちの大地をしっかりと見据えていますか。
 曇鸞様は、蝉に託して、早く仏法に耳を傾け「いのちの大地」を学び知ることの大切さを私たちに訴えているように思えます。

    亡き人を偲ぶ生活
 
 日本人は長い歴史を通して、亡き人を偲(しの)びつつ仏事(ぶつじ)や法(ほう)事(じ)を営(いとな)む生活を続けてきました。
 亡き人の命日を縁として偲んできたわけです。それは、亡き人が帰っていった命の日を通して、やがて私も帰っていく「いのちの大地」に思いをはせ、確認する作業であったようにも思います。
私を支えていた「いのちの大地」にこそ、私の生きる意味や使命、死を乗り超えていける道があると仏法は教えて
います。
 阿弥陀仏の御物語もその「いのちの大地」の精神を象徴的に表現してあると思えます。(文責住職)

   


   報恩のこころ

    ―感謝と慚愧(ざんぎ)―

 大阪市立大学に金児暁嗣(ぎょうじ)という先生がおられます。西本願寺派のお坊さんで、「宗教と行動」について調査・研究をされている方です。その先生が平成十年に『日本人の宗教性とその心理的効果』と題してお話をさ
れた講演録を読んだことがあります。
 その中で「生活満足度」という話をされていまして、印象に残っています。
 NHKとかいろんな新聞社が全国の県民意識調査をしてみると、「今の生活で十分であり、非常に満足だ」というような回答のポイントが、北陸は高いのだそうです。常に上位三位以内に入る。福井県などは、知事さんが「生活
満足度日本一」を県政の謳(うた)い文句にされているそうです。
 何故こんなに高いんだろう? 福井県はそんなに裕福な県でもないだろうに、どうも疑問だと先生は思っておられた。
 ある時、福井新聞から「生活満足度日本一というのは浄土真宗の信仰が関係をしているのではないか、調べてほしい」という要請があった。ご存知のように福井県の越前吉崎(よしざき)は、蓮如(れんにょ)上人が数年間房舎
を建立されて、浄土真宗大隆盛の拠点となったところです。「御文章(ごぶんしょう)」のほとんどはこの地でつくられています。
 そこで、県民の「あなたの家の宗教は何ですか」というサンプル調査をしてみた。すると60%が浄土真宗であった。全国でも最高ではないか。北陸三県での浄土真宗寺院が占める割合は、他宗派に対して圧倒的に高いわけ
です。
 それから、福井県と大阪市大の男女学生の宗教調査をされたそうです。そうする大阪の学生に対して、福井県の学生のほうが「おかげさま意識」のポイントが高いという結果が出た。また「感情バランス」というテストをしたと
言われる。感情バランスというのは、人間は何か身の回りによいことがあれば嬉しく思います(快感情)。その反対に腹の立つことがあれば不快になります(不快感情)。その差し引きがプラスであれば「気持ちがよい」という感
情になりますし、マイナスが強ければ「不愉快」な感情になる。感情のバランスがプラスかマイナスかを調査するテストだそうです。
 そうしますと大阪市大の学生はマイナスでしょっちゅうイライラしている。それに対して福井県の学生は感情バランスがうまくとれているという結果が出たそうです。
 結論から言うと「おかげさま意識」が強くなればなっていくほど、私たちの感情バランスがプラスの方向へ向いていくとお話されていました。
 「おかげさま」とご恩を感じる意識の高まりが、心の平安や生活の満足へとつながっているというご指摘かと思います。そして、それは北陸三県が常に生活満足度の上位を占めていることからも推測されるように、ただ単に経
済的な豊かさからもたらされるものではないということです。どんな状況にあろうと自分の中におかげさまと感謝できる心を持てるかどうかが、重要なポイントだということでしょう。
 浄土真宗は、長い歴史を通して報恩講を営み、親鸞聖人のご恩徳を偲びながら、もろもろのご恩を感じ取る感性を養ってきたように思います。北陸が上位を占めているということに、そのことも少なからず影響しているのではないでしょうか。

    間違ったご恩

 ご恩をおかげさまと感謝する心は大切です。しかし、そう言われれば言われる程、私は何か得体の知れない抵抗感を覚えます。
 少し前にテレビで北朝鮮の様子を映していました。小学校のクラスでチョコレートを配っています。「今日は特別の日で将軍様からチョコレートを皆さんにいただいた。将軍様のおかげでこんな良いものがもらえるのだから、感
謝しなくてはダメです。」というようなことを先生が言っていました。
 なるほど、得体の知れない抵抗感とは、こういうことなのかと思いました。
世界や日本の長い歴史を通して、「将軍様」「お上」「親」という上の立場のものが、「国民」「子」という下の立場のものに不平不満を言わせないために、この言葉が使われてきた側面があります。親が子どもに、親の方から「親
のおかげ」を言う時は、大抵子どもに言うことを聞かせるためです。国家が「国のおかげを感謝しなさい」と国家側から教育することは、国民に多少不満があっても「がまんしなさい」ということになっていくのではないでしょうか。
 これは明らかに間違った使い方です。仏教はそのような使い方を教えていないと思います。自ら恩を知ることが大切であると教えているのみです。

     仏智に照らされて


 さらに、おかげさまや感謝ということを仏法から学びたいと思います。
 私たちはどういう時にこの言葉を使うでしょうか。大抵は自分に都合がよい時に使います。「おかげさまで受験にすべりました」とか「癌になりまして感謝しています」というような使い方は、余程宗教的素養がない限り、ほとん
ど使いません。ということはどういうことかと言うと、謙虚におかげさまと振り返っているように見えても、内実は自分の欲望が満たされたことを喜んでいるだけじゃないのか。極論を言うとそうなると思います。
 仏智に照らされるとそういう自分が見えてくる。そこに深い慚愧(ざんぎ)が生まれます。
 『涅槃経(ねはんきょう)』というお経に阿闍(あじや)世(せ)王子(おうじ)の話がでてきます。耆婆(ぎば)大臣が釈尊(しゃくそん)の教えとして
  「大王、諸仏世(せ)尊(そん)つねにこの言(ごん)を説きたまはく、二つの白法(びゃくほう)あり、よく衆生(しゅじょう)を救(たす)く。一つには慚(ざん)、二つには愧(ぎ)なり。慚(ざん)はみづから罪を作らず、愧(ぎ)は他を教へてなさしめず。慚(ざん)は内(うち)にみづから羞恥(しゅうち)す、愧(ぎ)は発露(ほつろ)して人に向かふ。慚は人に羞(は)づ、愧は天に羞(は)づ。これを慚愧(ざんぎ)と名づく。無慚愧(むざんぎ)は名づけて人とせず、名づけて畜生(ちくしょう)とす。慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師(し)長(ちょう)を恭(く)敬(ぎょう)す。慚愧あるがゆゑに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。」
と書かれています。
 自らの在り方を恥じ入るという心があって、はじめて人間が人間に成っていくんだ。人と人との関係が成り立つ。
 そして、放っておけば自分の都合しか考えない畜生道のような私の生活が、慚愧を通して人間性を回復していくことになる。という思し召しかと思います。
 私たちはなかなか慚愧ということができません。どこまでいっても自己中心的な「おかげさま意識」から抜けきれません。そういう私が阿弥陀仏のお心に触れると自然に慚愧の心がめぐまれてくる。そこから本当の「おかげさ
ま」の世界が開けてきます。
 自分のことしか考えていない(罪を背負った私)私なのに、生かされ支えられてある今がある。
 深いよろこびと生きる力、他の人々への報恩の歩みがそこからはじまるのではないでしょうか。           



 住職 の話