真宗の行事

 1.修正会(元旦会) ≪しゅしょうえ≫
 
 2.御正忌報恩講 ≪ごしょうきほうおんこう≫
 
 3.彼岸会 ≪ひがんえ≫

 4.花まつり ≪はなまつり≫
 
 5.歓喜会(お盆会) ≪かんぎえ≫
 
 6.祠堂永代経 ≪しどうえいたいきょう≫
 
 7.報恩講 ≪ほうおんこう≫
 
 8.初参式 ≪しょさんしき≫
 
 9.降誕会 ≪ごうたんえ≫



 
   修正会
 
正月の元旦にお勤まりになる法要を修正会といいます。修正とは、過ちを改め正しきを修めるということで、年のはじめに、仏の教えに照らして去った年の反省をし、新たな年の決意をするということかと思います。
 地球を回っている人工衛星は、時折軌道修正しないと方向が違ったり、落ちてしまうそうです。宇宙船も時折軌道修正しないと目的地にいかないそうです。私たちも、毎年同じようなことを繰り返してはいますが、
やはり時折は、真実なる仏に照らし出されて自分の軌道を修正する必要があるのでしょう。
 「一年の計は元旦にあり」と古くから言われますが、元旦こそ自分を修正し計らう大切な機会かと思います。

 明応二年(1493年)正月、京都山科の本願寺におられた蓮如上人のもとへ、近くの勧修寺村に住んでいた道徳という同行が新年のご挨拶にやって来ました。上人79歳、道徳はそれよりも少し上だったようです。当時としては両人ともかなりの長命です。
 道徳が蓮如上人に新年のごあいさつを言おうとしたときです。上人は道徳に向かって「道徳はいくつになるぞ、道徳念仏申さ
るべし」と仰せられたことが、「蓮如上人御一代記聞書」に書き残されています。
 私たちですと、正月が来るといくつになったといってよろこびます。道徳もかなりの長命で、そのことをよろこんでいるよ
うに見えたのでしょうか。蓮如上人は、長生きは、それはそれでよろこばしいことだが、自分の行く末をお念仏に聞き、念仏
をよろこぶ私になることがもっと大切ではないのか、というお諭しをくださったのではないかと思います。



   御正忌報恩講


 御正忌報恩講は親鸞しんらん聖人しょうにんの祥月しょうつき命めい日にちに御遺徳をしのび、ご恩を報謝しようと営まれる法要です。
 親鸞聖人は弘こう長ちょう2年(1262年)11月28日にお亡くなりになりました。西本願寺では、これを太陽暦に改めて、1月16日を祥月命日としています。1月9日より16日までの七しっ中夜ちゅうや(7日間)おつとめしますので、七しっ中夜ちゅうや法要ほうようとも言います。
 大谷派(東本願寺)では、旧暦により11月21日より28日まで勤修ごんしゅうされています。
 この法要にお参りできるように、本願寺の御正忌を避けて、西本願寺派末寺や門信徒の間では前年の秋期などに引き上げて報恩講をお勤めしています。かといって、現実に門信徒総てが本願寺へお参りはできません。そこで、地元にいても御正忌に聖人のご遺徳を偲びたいという思いから、各末寺でも御正忌報恩講がお勤めされるようになりました。
 親鸞聖人は「帰命はすなはちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭く 敬ぎょうにして、かならずしも帰命ならず。」と言われます。帰命の心があれば必ず外に礼拝という形として現れる。しかし、形だけ礼拝をしてもそこに帰命の心があるとは限らない。だから、礼拝をしている時も、ただその行為に満足することなく、帰命の心が本当に私の中にあるのか、礼拝から帰命の心を学ぶことが大切だと教えてくださっています。
 報恩の心についても同じようなことが言えるでしょう。
 親鸞聖人のご恩徳は、私たちに真実のより処、すべての人々を救うという阿弥陀仏のおこころに従って生きることの力強さやよろこび、自らの死を乗り越えていける道を教えてくださったことであると思います。亡き先祖方もそのみ仏のおこころに帰っていかれました。
 この親鸞聖人を追慕する報恩講の儀式(集い)を通じて、私を支え生かしてくださっているさまざまなはたらきに思いを致し、また、亡き先祖方が帰っていかれたほとけさまのおこころに思いを致したいものです。


   彼岸会


 春分の日、秋分の日を中日とし、前後各三日の七日間、年二回行われる法要です。この行事は日本でのみ見られるようで、聖徳太子頃よりはじまったとされています。一般的には江戸時代頃より寺参りや墓参りがはじまったようです。
 彼岸(彼の岸)とは、悟りの世界、仏様のお国(浄土)という意味で、此し岸がん(この岸)すなわち我々の迷いの世界に対しています。
 もとは親鸞しんらん聖人が七高僧と仰がれた善導ぜんどう大師の観経疏かんぎょうしょの中に、観無量寿経の日想観を註釈して「冬夏の両時を取らず、ただ春秋の二際を取る。その日正東より出でて直西に没す。弥陀仏国は日没の処に当る」とあるように、春分の日と秋分の日の日没のところに阿弥陀仏の浄土があると心に思い浮かべるというところから来ているようです。平安時代の浄土信仰の隆盛とともに仏教行事として定着していきました。
 彼岸会には、彼岸である仏の国(浄土)に往生された先祖をしのびつつ、やがて私も彼岸へと導いて下されるお念仏の教えに耳を傾けたいものです。
 さて、最近は便利になりまして、車ではじめて行くところでもカーナビ(カーナビゲーション)があれば安心です。運転席の横にテレビ画面の小さいのがついていまして、次の信号右折してくださいとか、100メートル先の交差点を左へ曲がってくださいとか知らせてくれて間違いなく目的地まで案内してくれるようになりました。以前でしたら、地図や案内板をみながら、いろいろ迷ったものです。
 一番正確なカーナビはGPS(グローバル・ポジショニング・システム)という衛星電波を使ったシステムだそうです。地上2万メートルの所に24個の人工衛星が地球を回っており、そのうちの4つの電波を捉えて自分の位置を正確に割り出すから、間違いなく目的地まで行ける。つまり、自分の位置をずっと高いところから見ている。その様子を送ってくれるから間違わないということです。
 私たち(此岸)の人生もそうかなと思います。自分で自分のことを分かっているようでも、自分の姿が全く見えていません。その為に迷ったり、失敗を繰り返し、悩みの多い日々を送っています。
 仏法を聞くとは、人間(此岸)を超えた大いなる仏の眼(彼岸)から私の姿を見させていただき、確かな安心できる道を見いだすことだと思います。



   花まつり

 4月8日のお釈迦さまの誕生日をお祝いする仏事ぶつじを「灌仏会かんぶつえ」「仏生会ぶっしょうえ」「降誕会ごうたんえ」などといいますが、一般的には、「花まつり」と言われ、広く仏教寺院で営まれています。
 故事では、お誕生の時、草花は咲き乱れ、空から甘露の(あまい)雨が降ってきて、お祝いしたといわれています。そして、生まれてすぐに七歩あゆんで、右手を上に、左手を下に指さして「天上天下てんじょうてんげ唯我独尊ゆいがどくそん」(『大唐西域記』)と言われたと伝えられています。
 これにちなんで、草花でかざった花はな御堂みどうを作り、その中に釈尊の誕生の姿を象かたどった「誕生仏」を安置し、甘茶をひしゃくでそそぎかけてお祝いするわけです。「灌仏会かんぶつえ」という名称も、「灌かん」は「そそぐ」と読みますが、お誕生の時にあらゆるものがお祝いし、甘露の雨が降ってきたという故事に由来しています。また、甘茶で満たされた灌仏かんぶつ桶おけに誕生仏を安置し、甘茶をかけるということは、産湯うぶゆにつれるという意味もあるようです。
 さて、生まれたばかりの赤ちゃんがすぐに歩いて、そんなことを言えるはずもなく、奇異な話です。しかし、これは嘘とか本当とかの問題ではなくて、仏教の全体を釈尊の誕生の故事に託して伝えようとしてきた後世の仏教徒の思いを汲み取っていくべきものであると思います。
   なせ「七歩」かについては、迷いの世界である六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を超えたということをあらわしていると解釈されています。
 「天上てんじょう天下てんげ唯我独尊ゆいがどくそん」とは、あらゆる世界の中で、我ただ一人尊いものであるという意味かと思います。釈尊の尊さをそのように表現したとも受け取れますが、これは、「人は皆それぞれにかけがえのない尊い存在である、すべての人が独尊である」と解釈されるようになってきました。
 この世界では、比べ合い、役に立つとか立たんとか、良し悪しで優劣をつけ、「いのち」をさげすみ、殺し合う現実があります。その世界に釈尊は生まれ出て、迷い(六道)を超えた仏の精神にたって、一人ひとりの尊厳を回復し、認め合い支え励ましあっていくことの大切さを私たちに知らせてくださったように思います。
 花まつりには、甘茶をかけながら、もう一度お釈迦さまのおこころを聞いていきたいものです。


   歓喜会


 お盆は、中国で確立し日本に伝わってきた仏教行事です。
 盆とは、盂蘭盆うらぼんの略称で、正しくはサンスクリットのullambana、烏藍婆拏(ウランバナ)であり、倒懸(とうけん)と訳され、「逆さ吊りの意であって地獄での苦しみを意味する」とされています。
 盂蘭盆経によれば、釈尊の弟子のお一人で、神通力第一と言われた目連尊者が、その不思議な力を得たので、父母の恩に報いるために父母をさとりの世界へ導こうと考えました。そして、その力で見渡してみると、亡き母(青提女しょうだいにょ)が餓鬼道に落ちて苦しんでいるのを見つけました。飲むことも食べることもできずに骨と皮だけになって苦しんでいる姿を何とかしようと、母の前に神通力で食べ物や水を差し出しますが、母が口にしようとすると燃え上がりなくなってしまいます。とうとう食べることができませんでした。
 目連は深く悲しみ、釈尊に相談します。
 「お釈迦さま、あんなに私を慈しみ、育てるために苦労してくれた母親が、どうして餓鬼道に落ちたのでしょうか」
 「それは慳貪けんどんの業ごうによる」と釈尊は答えられました。慳貪けんどんとは、「むさぼり、物惜しみすること、自分の所有するものを惜しんで他人に与えず、また欲するものを欲望のままにむさぼること」とされ、餓鬼道に堕する第一の因とされています。母は自分の子供を可愛がるあまり、他の子供や他の人への施しを怠ったからと言うのです。
 「あなたの力では、母を救うことはできない。」「今度の七月十五日、自じ恣しの日に、お坊様方に食物などの布施ふせ供養くようをしなさい」と教えられました。当時インドでは、雨期の三ヶ月間移動も儘ならないので、一箇所にかたまって安居という修業をしていました。その最後の日、七月十五日は、自恣の日、つまり反省会、総懺悔の日ということになっていました。
 目連は、釈尊に言われたとおりにしました。
 再び、神通力で母親を探すと、布施の功徳によって、今度は、極楽のうてなで、ふくよかになって楽しそうに暮らしていました。目連は、躍り上がって喜びます。その喜びにちなんでお盆は、歓喜かんぎ会えとも言われ、また、その躍り上がって喜んだ姿が、盆踊りのもとになったとも伝えられています。
 目連尊者の母親の餓鬼道の苦しみを倒懸とうけん(ウランバナ)といい、後の人々は、目連様にならって自じ恣しの日、亡き方々を思って布施供養をしなさいというのが、お盆の行事となっているわけです。
 お盆は、亡き人をしのびつつ、仏さまの心に照らして、私も慳貪けんどんの業ごうに陥おちいっていないかを反省する日と言えるでしょう。


   祠堂永代経(しどうえいたいきょう)


 祠堂とは先祖が集まる祠(ほこら)というような語意です。かつては寺の本堂も祠堂も同じようなものとして受け止められていた面もあり、今日も祠堂しどう経きょうという言葉が残っています。
 浄土真宗では、全国的に永代えいたい経きょうと言われています。永代読経どっきょうの略で、亡き方々をしのびお寺で永代にお経があげられていくように、そして、子々孫々にいたるまで永遠にお念仏の教えが語り伝えられ、お寺が護持されていくようにという願いを込めて営まれる法要です。
 そのためにご縁のある皆様に「永代経懇志」(祠堂経懇志)をお願いしています。
 ご縁のあるすべての亡き方々の総追悼法要を「総そう永代経」と言い、西照寺では現在では年に一度八月の下旬にお勤めしています。それとは別に一個人に対する場合を「別べつ永代経」と言い、よく「祠堂をつける」と言う言葉で言い表されています。
 この様な習慣は、古くは中国が起源のようでして、家の敷地に祠堂をつくって亡き人を追悼したり、寺院で亡き人を追悼した習慣が仏教と一緒に日本に伝わってきました。浄土真宗では江戸時代のはじめころまでには、本山から全国の末寺に広まり営まれるようになったようです。
 亡き方々は、お念仏を生きる拠り処として生き抜かれ、そして仏の世界へと帰っていかれました。この世でお念仏を申す御縁のなかった方々も、やがては阿弥陀仏あみだぶつのお手回しによって、仏の世界へと返っていかれます。親鸞しんらん様は自分に近しい先祖方を「諸仏しょぶつ」と受け取られているようなところがあります。
 浄土真宗で諸仏(もろもろの仏様)とは、迷える者を導き、あらゆる人々にお念仏申す人生を歩めと勧めてくだされる方々であります。
 お寺は、お念仏の教えを広めていく地域の根本道場です。
 その道場で皆様の懇志をもとに永代経をお勤めするということは、亡き人をしのび、亡き人に導かれながらお御堂みどうに足を運び、私の迷いを仏法に気付かせていただくということであり、そして、亡き先祖方は私を導びいてくださる諸仏であったとこの世で証あかしていくいとなみでもあります。


   報恩講


 報恩講は、宗祖親鸞しんらん聖人しょうにんのご苦労をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをいただくことをあらためて心に深く味わわせていただく法要です。私たちにとって浄土真宗の門信徒であることを身をもって示す、もつとも大切なご法縁といえます。
 親鸞聖人御在世当時、お念仏を喜ぶ人々の間では、師法然上人ご命日に「二十五日のお念仏」として念仏の集会がつとまっていました。
 親鸞聖人ご往生の後、聖人を祖と仰ぐ私たちの先達は、それを親鸞聖人のご命日にあらため、ご法縁にあずかっていたのです。
 その後、親鸞聖人の33回忌にあたり、第三代覚如上人はそのご遺徳を鑽仰するために『報恩講式』(報恩講に拝読する聖教)をつくられ、報恩講がいとなまれました。以来、聖人のご命日の法要は報恩講として大切にお勤まりになっています。
 蓮如上人がお示しのとおり、正しくお念仏のいわれを聞かせていただき、身にいただいて、真実信心の行者になることが聖人のご恩に報いる道です。
 親鸞聖人のご命日は旧暦11月28日です。本願寺では、これを太陽暦にあらためて1月16日とし、1月9日から16日まで御正忌報恩講をお勤めしております。
7日間のお勤めですので、七昼夜報恩講とも言います。
 この本願寺の報恩講にみんなでお参りするため、全国の末寺や御門徒の間では、「お取越し」「お引きあげ」といって前年の秋から年暮れにかけて、報恩講を
お勤めしいるところが多いようです。


   初参式


 初参式とは、新しい生命の誕生をよろこび、生きることの意味を教え、真のよりどころとなってくださる阿弥陀如来の前で人生の出発をする式であります。
 人間に生まれることの難しさについて、お釈迦さまはいろいろのたとえをもって説かれています。その生まれ難い人間に生まれ、人生の出発の時にあたり、真実の阿弥陀如来に遇うという、なによりのご縁をいただくことは、この上もない幸せであろうと思います。
 人間に生まれながら、人間に生まれたことに何のよろこびももたず、かえって、人間に生まれたことを不平不満の種にして生きている人の多い時代であればあるほど人生の出発を真剣に考えなければなりません。
 人生を力いっぱい生きるためになくてはならないものは何か、それは真のよりどころであります。真のよりどころをもたない人の人生には、常に不安がつきまとい、楽しみはあっても、人間に生まれてよかったという、腹の底からでてくる喜びはありません。
 お釈迦様は、真のよりどころは「法」であると教えてくださいました。
 親鸞聖人は、「法」は「南無阿弥陀仏」となって、一人ひとりの胸の底まで届いてくださると教えてくださいました。それ故に、如来の尊前での初参式は、子を思う親の真心の発露の式でもあります。
                西本願寺リーフレット『み仏と共に』より引用



    
降誕会(ごうたんえ)

 宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうん)のご誕生をお祝いする法要(集い)を降誕会といいます。

 親鸞さまは、平安時代の終わり頃、1173(承安3)年4月1日、太陽暦にして5月21日、京都の東南にある日野の里でお生まれになりました。

 父の名は、日野ひの有あり範のりといい、藤原氏のながれをくんでいて、皇太后に使える「皇太后宮こうたいこぐうの大進たいしん」という官職にありました。のちに出家して三室みむろ戸ど大進入だいしんにゅう道どうと呼び、三室戸に隠遁されていたようです。生母は、吉光女きっこうにょといい親鸞さまが8歳の時に死別されたと伝えられています。
 当寺は、貴族政治が終焉を遂げ、平氏と源氏が政変を繰り返すという混沌とした世の中でした。政変に敗れたものは出家すると罪や命が免ぜられるということもあったようで、父の有範卿も政変に巻き込まれて出家されたものと推測されています。
 親鸞さまは、幼くして両親と別れ、お父様の兄である日野ひの範のり綱つなという人に育てられています。男兄弟5人の長男でして、兄弟すべての方が出家されています。このような状況から、日野家の衰退、親鸞さまを取り巻く環境の厳しさがうかがわれます。
 そして、9歳の時、範綱卿のすすめもあり、出家得度され、比叡山に登られています。
 お坊さんになる得度とくどの式を受けるため、天台てんだい座主ざすの慈じ円えんさまのもとを訪ねますが、夜遅くであったため、「明日に式をしましょう」といわれました。ところが親鸞さまは、
  「明日ありとおもう心のあだ桜、夜半よわに嵐の吹かぬものかは」
 明日はどうなるか分からない身であるから、今お坊さまにしてくださいとその決意の深さをうたわれたと伝えられています。
 以後、自分の生きる意味と使命とは何かを仏教の教えの中に問い聞いていかれました。
  29歳の時比叡山を下りられ、法然さまとの出会いをとおして、すべての人々を救うという阿弥陀仏の願い(本願)の中に、自分の生きる意味と使命がいいあてられていたと気づかされます。それからは、お念仏申す人生こそ、すべての人が救われ、迷いを乗り越えていく道であると、人々に教え伝えてくださいました。
 35歳の時念仏の弾圧に遇い越後の地へ、その後関東の地をへて、62歳頃に京都に戻られています。 
 1262(弘長2)年11月28日(太陽暦では翌年の1月16日)弟の尋じん有う僧都そうずの善法院ぜんぽういんで、90年の生涯を閉じられました。
 まことに、本願を人生の究極の拠り処として生き、悩み多き人々に本願ほんがん念仏ねんぶつの教えを説き続けられた力強い御一生でありました。
 親鸞さまの誕生は、ただ人間として生まれてきたということだけではありません。真実を私たちに説き弘めるために真実の世界から降りてきて下された降誕(ごうたん)して下された方ということで、お敬いの気持ちから降誕会の法要を営ませていただいています。